『オーバー・ザ・オーバー』(mf記)

ヨガ教室に通い始めた。
ヨガは以前も習ってたことはある。呼吸法でリラックスする方法を学ぶにはうってつけの教室だった。体がそもそも硬いのに加えて力を抜くのが下手らしい。自律神経も失調気味だ。

暫く通ったが家庭の事情などで辞めざるを得なくなり、その後コロナ禍もあって、たまにYouTubeで少しやってはみるが、こーゆーものは一人でやるとサボりがちである。そんな折、友人から誘われたのと時間的に大丈夫そうな教室があったので通うこととなった。

知らないで飛び込んだが、これはヨガというよりピラティス?とにかく以前よりキツい。歳をとった、体の硬さも増した、太った、とマイナス要素ばかりアップデートしてる自分にはおよそ似つかわしくない、中級者以上向けのポーズばかりだと思えた。

それでなくても汗っかきの私は人一倍汗をかく。余計にキツく感じるのだ。
しかし、これは僅かながらでも筋肉が鍛えられる。今の私に足りないのは筋肉だ。これは何とか頑張らねば。1週間のうちたったの1時間半ではないか。
プチ修行だと思おう。って、修行僧に申し訳なさ過ぎるけど。阿闍梨ってどんだけ凄いんだ(比較する話ではない)

3ヶ月も通った頃、殆ど出来なかったポーズが少し出来た。おお!僅かだが効果はあるじゃないか。そのうち今は無理なあんなポーズやこんなポーズも出来るかしら。
そう思ったその次の週、先生は私からしたら上級者向けではないのかっ?という新しいポーズを繰り出されたのである。進歩したとはお世辞にも言えない。とほほ(この言葉、こんな時にぴったりだ)

それでも。

「昨日よりこれっぽっちでも強く」

という竹原ピストルの『オーバー・ザ・オーバー』の歌詞のように、本当にこれっぽっちでも退化していなければ今はそれでいい。
この歌は明らかにアスリートに向けられた歌のようだが、必ずしもそれだけではないと思う。これっぽっちの進化は、体育会系だけでなく文化系にも、また精神面でも当てはまるんじゃないかな。

そもそもこの歌のMVはタクシー運転手の休憩をただただ淡々と描いているだけなのだ。これを松重豊氏が演じていて渋くて味わい深い。別に「腹が減った」と言って食べ物屋に入る場面もないのだが(当たり前だ)見入ってしまう。
そして見ているだけで、じゃあ明日も頑張ろうかな、と思えて来るから不思議だ。

ヨガに限らず自分を鍛えるというか、今しんどいことがあるのも鍛えられてるってことかな、試されてるのかな、という場面はあるはず。
世の中には自分よりずっと辛い思いをしている人なんて沢山いる。壮絶な経験をした人もいる。それに比べれば大したことないんだけど、それでも投げ出したくなる時だってある。

そんなあれこれに悩む時に励まされる歌だ。じっさいアスリートでない自分はどうしても怠けがちになってしまうけれど喝を入れる時には必要かなと思う。
他の歌の歌詞ではあるが、三歩進んで二歩下がることもあるだろう。
でも、ずっとずっと後退したままでは終わらない、そんな心持ちでいたい、と思わされる。仮に一歩が無理でも半歩進んでいたい。

だからこそ現実を放り出したくなる局面で聴く、歌う、脳内再生する。
勝利の涙や悔し涙は流さなくっても。


https://youtu.be/7vrntT1MQB4?si=yR9JV-CKYQ0zUx6W

#オーバーザオーバー
#竹原ピストル

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