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ラグビーワールドカップで、泣く女

ワールドカップが始まって1ヶ月。
大人になってから、こんなに毎週のように泣いたことはない。

9月20日。東京スタジアムで、姉と二人。
夢にまで見た自国開催のW杯、その開会式で感動のあまり涙ぐみ、続いて行われたロシア戦に日本が勝って泣いた。

9月28日。自宅で、一人、テレビの前。
プールA一番の強敵、アイルランドに勝った。選手のインタビューを聞いているうち、こらえ切れずにテーブルに突っ伏して嗚咽した。
興奮した家族や、同僚、友人、果ては行きつけの美容師からも電話やLINEが入った。そのたびに止まっていた涙がまた溢れた。
落ち着こうと近所のコーヒーショップに行けば、そこでも「おめでとう」と言われ、店内でまた泣いた。

10月5日。調布の居酒屋で、同僚と二人。
東京スタジアムでイングランドvsアルゼンチンを観戦。
夜から始まる日本vsサモア戦は会場で放映しないと知り、調布に移動。移動中はずっと、同僚のスマホでhuluでサモア戦を見続ける。周りの人も、同僚のスマホをのぞき込む。後半に入ったところでちょうど居酒屋に入り、勝利を見届けた。
勝つと信じていたから、私と同僚に涙は無かった。
が。
翌6日。東京スタジアムで、前日と別の同僚と二人。
ニュージーランドに果敢に挑むナミビアの勇姿が素晴らしく、気づけばスタンドで泣いていた。

そして巨大な台風が去った後。
10月13日。自宅で、姉と二人、テレビの前。
日本は死闘を制して、スコットランドに勝った。
32年前、第一回W杯を観て以来、ラグビーが好きだ。
だが、南アフリカに勝った15年まで、日本がベスト8に進出するなど、夢に見たことすらなかったのに。
プール戦、4戦全勝。
ベスト8進出。
姉と二人、抱き合って泣いた。気づけば、姉は終電を逃していた。

日を追うごとに、涙腺が弱くなっていくのを感じる。
試合を観て泣くだけではない。

選手たちのインタビューを観ては、泣く。読んでも、泣く。
各国代表とキャンプ地の交流についての記事を読んでは、泣く。
選手やファンや記者やラグビー関係者が、思いをつづったSNSを読んでは、泣く。
あげく、ふいにその全てを思い出しては、歩いているだけなのに突然涙ぐむ。

SNSの発達のおかげで、こうした映像や記事は、いつでもどこでも視聴が可能だ。便利な世の中になったものだ。
しかし、私がSNSを観るのは通勤時間や職場での休憩中が多い。だから、山手線の中やオフィスの自販機の前で、いいトシの女が、うっかり目を潤ませる羽目になる。

大人になってから、かくも長期間、感情的な自分でいたことなど記憶がない。
比較的泣き上戸の方だと思うが、それにしたって、悲しくとも嬉しくとも、泣くのはその時だけのこと。ましてや、思い出して涙ぐむなど、滅多にない。

これは、ワールドカップのなせる業か?
それとも、日本代表が強いからか?
そもそも、そうやって人の心を揺さぶるのが、ラグビーというものなのか?
自分の奥底から、驚くほど繊細なアンテナが四方八方に向けられて、敏感に反応している。
こんな自分がいたのかと、自分で自分に驚いている。

ワールドカップは、あと約15日続く。
この日曜日には、日本は南アフリカと戦う。強敵だ。
南アフリカに勝ったとしても、準決勝ではフランスかウェールズと戦う。どちらも強豪だ。
それでも、そこに勝てば、夢想も妄想もしなかった、決勝の舞台に立てるのだ。

そんなことになったら、私はいったいどれだけの涙を流すのだろう。どれだけの感情がむき出しになるのだろう。
ワールドカップ前の自分に戻れるとは、もはや微塵も思えない。

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