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ワールドカップが終わって過労で倒れて考えたこと

ラグビーワールドカップが終わって3週間ほどたった頃、3日間寝込んだ。
発熱し、気力はなく、体がまったく動かない。そして気絶するように眠る。
過労だった。


私は、そもそもうちの課は、元々がやたらと業務レンジが広く業務量も多い。それを何とか課長と同僚、私の3人を中心に、総勢5名で回していた。ところが10月に入ってから、仕事量が凄まじく増えたのだ。

10月に何が変わったのかというと 、3つ。

部長がやたらと頭の切れる男に代わったこと。
組織変更で隣の課が無くなり、うちの課がその仕事を引き継いだこと。
そして消えた課の課員4名の内、主力二人が異動してしまった上、その補充が無いこと。残った2名は補助要員で、異動していった2名の仕事内容は知らなかった。

部長の要求は厳しく、仕事は増え、メンツは減ったという状況が、10月から……つまり、ほぼワールドカップが始まると同時に、起きたのだ。

その状況で、毎週末試合を観に行き、放送もSNSもチェックし、公私共に、思えば無茶苦茶な生活だった。
過労にだってなるだろう。

だが、肉体的な疲労だけではなかったと思う。発熱の辛さより、無気力の方が深刻だった。

ワールドカップ期間中は、とにかく生活全てが楽しかった。
毎週のようにスタジアムに行き、ラグビーを愛する世界中の人々の一員として過ごし、JAPANの活躍もあって道を歩けばラグビーに当たるような状態。
仕事は過酷でも、それすらも気にならないほどワクワクしていた。

そう、毎日ワクワクしていたのだ。

元々好きなことになると、思い切りテンションが上がる質ではある。例えば好きな映画に行くとか、ボン・ジョヴィのライブに行くとか、普段のラグビー観戦とか。
ただどれもワクワクするのだが、やはりワクワクの続く期間は長くない。

それが、自国開催のワールドカップは、一ヶ月半もの間、毎日続いていた。
ワクワクして毎日暮らす、それがこんなにも楽しく、気力に満ちた生活になるとは知らなかった。
そしてワールドカップ終わり、ワクワクの残滓すら消えた頃、強く感じたのは、戻った日常とのギャップだった。


もちろん、RWCは祭りだ。非日常なのは当然だ。しかしこの一年近く、いままでの日常に疑問を感じて悩み、決断し、行動し、を繰り返していた私には、一片の疑念なく過ごせた一ヶ月半は、心も頭もまっすぐで、それは心地よかったのだ。
日常の、とりわけ雪崩のように襲いかかってくる仕事(決して大袈裟ではない)との差は大きすぎた。

熱が下がり、会社には行ける程度に回復し、そして私は自分の心身を守るために、1つだけ決めることにした。
嫌なものは嫌だと、ハッキリ口に出すことにした。といっても会社員ではあるので、相手と加減はしつつ、でも無理に押さえ込まないようにしたというべきか。

幸運だったのは、今の課長は昔からよく知っている人で、気心が知れていること。同僚も付き合いが3年目になり、お互い化けの皮が剥がれていて取り繕うこともなくなっていたことだ。
3人でミーティング中、無茶な要求にテンパった私がボールペンをブン投げても、当たり前のように拾ってくれる上司と、手を叩いて笑い転げる同僚になんざ、そうそう恵まれないだろう。(若い人は真似しないでね)

こういうことは、私が人からの好意にも悪意にも、かなり鈍いからできるのかもしれないし、会社での評価と自分の価値を混同しないようになってきたから、平気になったのかもしれない。
ここにはもうあまり長くはいないだろうという、腹のくくりかたをしているからかもしれない。

何より、仕事や会社や周囲の人間への責任以前に、私は私の体と心に対しての責任を果たさねばならないと、倒れてしみじみ思ったのだ。
ラグビーは自己犠牲のスポーツと思われがちだが、自己犠牲とは自分をないがしろにして払うものではない。
まずは自分のフィジカルとテクニックとメンタルが出来上がっていなければ、犠牲どころか邪魔になる。自己犠牲は、自己がベストコンディションの状態でいてこそ、初めて払えるものなのだ。

そんなことを考えながら、やっぱり今日も仕事をしている。

追記
このnoteを8割方書きかけたところで、さらに仕事量が増えて2ヶ月放置……
仕事の合間に手を入れて、やっと完成
仕事、減る気配は今も無し

さらに追記
9月まで部長で役職定年し、しばらく部門長付けだった重鎮が辞めた途端、部門長が本性(パワハラで有名だった)全開に。
パワハラ部門長と切れ者部長の下で、もちろん仕事は今日も増えていく












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