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20190218「死なば諸共」

今これを書いているのは大学二回生の僕、勝見ふうたろー。

ふうたろーというのは無論ペンネームだが、本名と大差はない。
なぜ先の文章に「大学二回生」と付けたか、それがこの記事の内容に大きく関わってくる。
僕は僕が抱える断崖と後悔を文字に記さずには居られないのだ。

二回生の終わり、緩やかな時間が流れる春休みの只中を、今僕は暮らしている。
だがその心中は緩やかではない。頭を悩ませるのは「就活」の二文字に他ならない。
普通の仕事には就けそうもないという自負ばかりが強く、側から見れば甘ったれているように見えるだろう。僕もそう思う、漫画を描いて生きていくには難しすぎる現実で、空想をこねくり回してどうしようもない作品を生み続けた。それを広く知らしめる方法も良く知らない。知らないから、分からないからと言ってただ落ち込んで実際に調べようともしない。ただただ、時が来れば何とかなると思っていた。そう思い続けた先に今日があった。下らない、量産品のような人間として試練の前に否応なしに立たされる今日だった。
何もかも足りなかった、知恵も、努力も、信用も、人も、自尊心も。生まれた時から決められていた運命を信じざるを得ないような、そんな感覚に目眩がする。危険な思想だって、異常な世界だって、ひたぶるに信じ続けて走り抜ければ何か大きなものを得られるのだろう。僕はどこにも属せず、誰も信じられずに今を浪費している。
仕事、出来るんだろうか。マナーって何なんだろうか、空っぽの心で歩む社会に何が残るか。お金って何だろうか、使えば無くなり、循環を通して行き着く先の無い紙切れに価値観を見出せというのか。
いや、芸術家めいた言葉を紡いでも哀しくなるだけだ、その「芸術家」にさえなれなかった僕に、語れる人生も未来も何も無い。

駒になる覚悟は出来た。いや、出来たとか出来ないとかじゃない、やるんだ、やるしかないんだ。今までのうのうと生きてきたツケを払う時がとうとう来たんだ。踏み倒す方法はこの六畳一間のアパートで首吊りでもするしかない。

生きることを重く考えると、死ぬことを軽く考えるようになる。
散歩中にふと思いついた短文を、このエッセイにねじ込んでみる。こんな思いまでして生きるなら、もう終わりにしたい。人生なんか二度とごめんだと、優しそうな顔で煌めく星空に怒鳴りつけてしまいたい。

こんな文章を書く自分が心底嫌いだ。どうしてもっと外面を取り繕ったり、笑顔で居られないんだろう。こんなことだから人が離れていくんだ。誰も、僕のことなんか好きじゃないんだという錯覚で何も信じられなくなりそうになる。

死んだ方がましなんじゃないだろうか、この文章だって、誰かの何かの足しになるとは思えない。幸せなんかこれっぽっちもない。金が必要ならバイトだってなんだってすればいいのに、何か漠然と恐ろしいという感覚のせいで、二回生になるというのに、未だにアルバイトもせずに絵や漫画を描いている。

死にたい、今夜死にたい。いや、明日にしよう。
「死にたい」とブラウザに打ち込むと真っ先に出てくる自殺予防の電話窓口案内を眺めて、何もかもどうでもよくなる。
安心なのか、希望なのか、諦観なのか、自分の感情などもう解らない。
僕にできることは、創作だけだと言いたい。そうでなければもう道なんかない。
明日死のう、だから、今日はもう寝よう。

2019/02/18 勝見ふうたろー

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