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芸術の周期性に少しだけ興味を持てた話

私は芸術が苦手だ。絵を見せられても、フウンとしか思えない。だって、単なる昔の人や風景がぼやーっと書かれているだけだったり、そもそも意味不明な物もあったりするから。絵を見て、あれは良かった、これはイマイチ、それは嫌い・・・そんな感想を述べる人たちの事を、分かったふりをしているだけの浅はかな人とすら思っていた。ごめんなさい、私が見る目がないだけだと思います。

しかしそんな私も、最近芸術にちょっと興味を持てる事があった。きっかけは、ある作家の作品展を見に行ったこと。調べてみたら絵の描き方にも時代ごとに流行があるのだそうだ。例えば大量生産品が普及した時代には、その画一性を避けたい人々が花や植物などをモチーフとしたり、あえて大量生産に向かない自由曲線の組み合わせを試したりしたのだそうだ。従来の様式に囚われない装飾性に挑戦する。新しい!ということで世の中を席巻する。芸術の追求者達の勝利だ。よかったよかった。

しかし、歴史はそれを許してくれない。今度は逆の考え方が出てくるのだ。例えば、第一次世界大戦後には「そんな大量生産に向かない装飾は退廃的な物でありもっとシンプルにしようよ」という考え方が出てくる。そうするとまた芸術家達が追及して、前世代の考え方をうまい事変化させて新しい流れを作り世の中を席巻するのだ。

変な装飾さや、気取ったシンプルさ。それらの作品が、その時代時代の主流派に対する挑戦の足跡と見ると、少し作品の見方が変わってきた。同じような点を行ったり来たりする、流行の歴史「線」の中で、新しいものを探して抗い、そして打ち勝ってきた作品が、今目の前にある絵なのだと。

私が芸術を見て訳が分からないのも当然で、そもそも私は波打つ歴史の中の「点」から別の「点」を見ているのだ。そしてその訳の分からなさというのも、何処かの線で私から見た「訳の分かるもの」とつながっている。そう考えた時に、芸術嫌いの私にもやっと興味を持てるところが見つけられた気がする。私は規則性のある物が大好きだからだ。

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