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朧月夜の記憶

たまに思い出す人がいる。

彼は私の大切な友達だった。
とても短い期間だったけど、今でも色鮮やかに当時の記憶を思い出す。

はじめて会ったのは、好きなシンガーソングライターの人のライブハウス。
当時付き合っていた彼が知り合いで私に紹介してくれた。
私は19歳で彼は30代くらい。
歳は離れていたけどすぐに仲良くなった。

彼はとても繊細で不器用で、感性がとても豊かだった。
言葉の選びかたはまるで薄い陶器を扱うようだった。
彼のやさしい言葉遣いは固かった私の心を少しずつ溶かしていった。


彼は文字や音に色がついているように見えると話していた。
彼の目にはどんなに色鮮やかな世界が映っていたのだろう。
私はその美しい色の世界の話を聞くのが好きだった。

彼はよく夜中にギターを引っ張り出しては、ぽろぽろ音を奏でながら晩酌をしていた。
まるで背中に闇を背負い、月と対話をするようだった。
決して上手いギターとは言えなかったけど、その温かい音色を聴くのが私は大好きだった。

彼はいつも笑っていたけど、時々寂しそうな表情をするのを私は見逃せなかった。
どこか消えてしまいそうな儚さを身にまといながら生きていた。
彼は一度だけ彼の今までの人生の過ちについて話してくれた。
その声はいつもより悲しそうだった。

彼はライブハウスで会うといつも声を掛けてくれた。
「さらちゃん元気だった?」
って、私が作ったチーズケーキを頬張りながら言っていた。
「今日のライブ素敵だったね」
って煙草を吸いながら言っていた。

そのうち、私は入院を余儀なくされた。
入院生活はとても寂しくて辛かった。
何とか楽しみを見つけながら生きていた。
鉄格子の窓の外を眺めては季節の移り変わりを感じていた。
もう冬が来る。そう感じながら。

当時彼氏に宛てた手紙も一往復で返って来なくなってしまった。
あんなに大好きだと言ってくれていたのに、返してくれなかった。
『手紙の出し方が分からない』
とはぐらかされた。
病院での生活が辛くてそんなあからさまな嘘も信じるしかなかった。
もう私に気持ちがないことを知りながら。

冬が深まる頃、私はようやくあの監獄から出た。
それと同時に彼氏への熱も冷めた。12時の鐘と共に魔法が解けるシンデレラのように。
彼女は運命の王子様を見つけたけど、私は身勝手でお互い傷つけ合った彼氏と離れる選択をした。



正直彼氏と別れることはとても勇気が必要だった。
病気でまともに社会生活も送れず、家庭にも馴染めない私を拾ってくれた存在だと信じていた。

「俺は普通だけどお前は病気だから。」
「被害妄想が激しく、落ち込み方があからさま過ぎて面倒だ。」
「『好きだ』と言われるのは正直めんどくさい。」
「謝れば何とかなると思っているだろう。」
「考える時間長すぎてタイムラグができるのやめて欲しい。」

会いたいと思っても時間とお金の問題を出され、結局会いに行くのは私だった。
彼氏はひとつ上の社会人だった。
千葉から滋賀まで新幹線に飛び乗ったり、夜行バスで京都まで向かったりした。
働けなかったから、自分の貯金を崩しながら会っていた。

度胸とフッ軽さはこの経験で身に付けたことが多かった。
でも私の心は大いに傷付いた。
なんだか惨めだった。
大切にされないことなんて当たり前だと思っていた。
だって私は精神疾患持ちで社会に馴染めない、親にも生まれてくるのを望まれなかった重くて変な子だから。
そんな私を好きだと言ってくれる人を手放すのは怖かった。
また一人になるのが怖くて、やっぱり私の居場所はここなんだと信じ込んでいた。
私は彼氏の『モノ』だから所有主から離れてはいけない…

そんな考えがぐるぐるしていた。


※この私の考えの詳しいお話はこちらの記事をご参照ください。


そんな時にひょいと友達の彼に声を掛けられた。
彼は
「さらちゃんはもう十分頑張ったから、別れても大丈夫だよ。」
「さらちゃんが生きていてくれただけで良かったよ。」
って。
彼は私とその彼氏との様子を遠くから見ていたから、余計に私を目覚めさせるきっかけになった。

「だって○○くんはさらちゃんを扱えるほど大人じゃないから無理だよ〜」
と笑いながら言っていた。

その彼の言葉で私はなかなか踏み込めなかった彼との別れを決めた。


私は彼氏に最後は怒鳴られながら別れた。
怖くて言葉が出なくなりそうなのを必死に堪えながら、私は最後になってやっと彼に対して抵抗をした。
今まで怖くて出来なかった。
ちゃんと私ができないと怒鳴られて怒られて責められるのが嫌で反抗なんてできたものじゃなかった。
でももうこいつと別れるんだと思ったら怖かったけどできた。
最後は悪態をつかれて電話は終わった。

終わった瞬間涙が溢れて止まらなかった。
あんなに酷い扱いを受けているとどんなに周りから言われても、私は彼氏のことがとても好きだった。
だからこんなことにならなければ一緒にいたいと当時は思っていた。
こんな別れ方をするのは嫌だった。
気付いたら友達の彼に泣きながら電話を掛けていた。
ひとしきり泣いたあと、彼は私にこう言った。

『紗良ちゃんは本当に素敵な女性だね。』

って。
私は最初は意味がよく分からなかったけど、なんだかその言葉を聞いたら安心した。


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

しばらくして、彼との共通の友達から連絡がきた。

「○○さんが昨日亡くなったって。」

頭が真っ白になった。
だって数日前まで私と話していたのに。
2週間ぐらい前だってライブハウスで会ってお話してたのに。
私は5月が誕生日だから、『20歳になったら一緒にお酒飲もうね』って言ってくれていたのに…

私が送った最後のLINEのメッセージには既読がちゃんと付いていた。
『○○さん、ちょっと助けてほしいんです。』
って。
助けてほしいのはきっと彼の方だったのに私は自分の助けを彼に求めてしまっていた。
それが最後のメッセージだった。

彼はその年の4月に自殺してしまった。
自宅で一人ひっそりとその最期を迎えた。

大人だったけどその目は曇ってはいなかった。
けれど目の奥は私と同じように死んでいた。
とても純粋な人だった。
純粋がゆえに、抱えているものも多かった。
だからきっと彼にとってこの世界は重くて苦しい部分もあったのだろう。
いくらこの世界の美しい色や、音色、情景を残したって、過去の苦しみや、これから生きる希望を見出すことなんてできなかったのかもしれない。

死にたくてしょうがなかった私には何となくその気持ちが分かる。
生きなければならないことが、時にどんなに人を苦しめるのかを私も知っている。
死ねば楽になれるあの感覚も私は知っている。
『生きていて欲しい』とか『あなたが居なくなると悲しい』なんて言葉は死にたい人の心には届かないことだって私は知っていた。

でも知っていたはずの私が彼の死期を察知出来なかったことが悔しかった。

私が閉鎖病棟から出た時、
『さらちゃんが生きていてくれて良かったよ。』
と言っていた本人が私と同じ自殺で死んでしまったなんて信じたくない。
どうして私が死にたかったのに、あなたが死ななきゃならなかったの?と。

胸の奥が痛く、苦しく、鉛のように重かった。

『生きていて欲しい』
とは私は言えない。
だって望むなら生きていたいし、死にたくはない。
どうせみんな死ぬんだから、自分で死期を決めるだなんて馬鹿げてる。
でもその生きる希望を失った人たちは、一縷の望みでさえも見つけられないほど、暗く長いトンネルを人知れず孤独に歩くのだ。
例え周りに人がいたとしても、心の奥底にある暗く重い苦しみを分け合えるような人がいなければそれは孤独と同じだ。

『言って欲しかった』
と言う人もいるけど、そう言う人はたぶん受け止めきれずに離れていく人が大半だろう。
そんなに軽いものではないし、聞く側にまわった時は慎重に言葉を選ぶか、ただ聞くだけになるだろう。
それほどに人生の、人として生きてきた中での重く暗い、ドロドロした感情や思いが出てくると思ってもらって構わない。
しかも聞いてアドバイスをしようと思っても解決の糸口が見つからぬほど、その問題は強く、巨大樹の根のように深いのだ。
彼らの思うほど『死にたい』のその感覚は「仕事きついなぁ…」「めんどくさいなぁ…」と流行りのファッションみたいにコロコロ変えられるものではない。
少なくとも自殺を本気で考えている人たちは。


私は自殺することを全面的に悪いことだとは思っていない。
これは私の経験則から来た考えなので、大多数の人には理解できないかも知れないが、少なくとも私は一度実行して死にかけて、たまたま生きている人なのでこの話は少しだけできると思いたい。
さっきも話していたが、自分で死期を決めるのは馬鹿げてる。
それは私も、自殺を本気で考えている人も分かっているはずだ。
ただその生きる希望は多くの人が思っているようなよくある希望は既になくて、もはや自身の『存在価値』の疑いから生きる希望を失っているのだと私は思う。
少なくとも私はそうだった。

そしてその『存在価値』がないと感じる根本的な理由の多くは、幼少期~思春期にかけての本人の経験で養うことが難しかった自己肯定感の低さだと思うのだ。
もうこの時点で、ほぼ生まれてから大人になるまでの期間でそのような考えの土台が出来ていることが分かるだろうか?
だから後から知り合った友人や周りの人がどうこうできる問題ではないことを少しでも感じてもらえたら非常に嬉しい。

正直生きて欲しいと願い、本当にその人をサポートするのであれば生まれてから現在に至るまでに起きた出来事とその時に感じた感情を全て洗い出して、浄化しなければならない。
しかも回復までの期間は想像しているよりももっと長い期間が必要で、人によっては何十年、一生掛かったりする。
特に過去を掘り起こす作業なんて生きる上でトラウマなんて言葉じゃ片付けられないほどの痛みや苦しみを味わって必死に歯を食いしばって生きてきた人に、『もう一度それを思い出して欲しい』なんてそんな酷なこと簡単に言えるはずがない。
それだけ根深く、他人が簡単に干渉できるほど軽いものではない。



でもそれができる人がどれだけいるだろうか?
私も含め、多くの人は自分の人生で精一杯なのだから、それが仕事じゃない限りそこまでの援助ができないと思う。
それにこれは本人がどうにかしたいと思った時にしか助けの手を差し伸べることが出来ないので、結局助けられなくて皆死んでしまう。
自殺する人を助けたいなんていくら人手があったって足りないのだ。
もしそれをしたいのであれば、もはや生まれた時からその助けの手が必要なのだから。
死にたい人の気持ちなんて、本当にした人じゃないと正直分からないし、私だって全員の自殺した人の気持ちなんて分からない。
それは紛れもない事実でそれだけ『自殺』というものは複雑で、結局本人にしか分からないことだらけなのだから。


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

彼の死はもちろんとても悲しかったし、私は今でも思い出しては泣くこともある。
でもそれと同時に、彼らしい死に方だな…とも思った。

もしかしたら私も同じ状況で彼よりも先に天に昇っていたかもしれない。
もうこの世界には彼にとっては用事はないのだなと感じた。


『紗良ちゃんは本当に素敵な女性だね。』

この言葉は彼が私に最期に残してくれた私の生きる希望のひとつだ。

私は生まれてこなければよかったと思っていたし、この世界が嫌いだったし、私自身のことも穢れていて生きるべきではないと思っていた。

私は死ねなかった。
生かされてしまったのだから。
だからせめて彼の綺麗な世界から見えた私の姿に見合うような大人になりたい。

正直私の何が素敵なのかは分からない。
でも私が次に彼に会う時には、たくさんのお土産話を用意していきたい。

『この世界はあの頃よりもっと素敵になったよ』
って。

美味しいお酒を持っていくから待っててね。

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