見出し画像

【#読書の秋2020 】世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? について考えた


現在note公式と出版社合同で読書感想文投稿コンテスト「#読書の秋2020」という企画をやっているので、課題図書から1冊読んでみました。

光文社から出版されている山口周さん著の 「世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか?」

なぜこの書籍を選んだかというと、タイトルから「へえ、世界のエリートは美意識を鍛えているのか!なぜだろう?」と疑問に思ったから。

グローバル企業が世界的に著名なアートスクールに幹部候補を送り込む、あるいはニューヨークやロンドンの知的専門職につく人々がアートギャラリに足繁く火曜のは教養を身につけるためではありません。彼らは極めて功利的な目的で「美意識」を鍛えているのです。なぜなら、「分析」「論理」「理性」に軸足をおいた「サイエンス重視の意思決定」では複雑で不安定な世界においてビジネスの舵取りをすることはできないからです。そのように考える具体的な理由はなんなのでしょうか? (Amazoページより)

数字の裏付けなしにビジネスはない科学的経営の今

現代のビジネスの規範というのは論理です。「その商品はどうして売れると思うのか?」ということは、"なんとなく" とか "かっこいいから" ではほとんどの企業では許されない。それを裏付けする数字があってようやく商品開発にいたり、プロモーションにいたります。

影響力の武器がないと個の時代はサバイブできないのかでも触れましたが、この頃はSNSに一定のフォロワーがいない限り出版ができないというのも同じ原理ですね。

正解コモディティ化の弊害

しかしこの本で指摘されているのは、論理で導き出される解(売れる商品、儲かるビジネス)は全て同じになるということ。論理こそが正義であり、この論理思考を極めてきた世界では現在正解のコモディティ化が起こっているといいます。

コンサル業は、ダイレクトに正解(売れる商品、儲かるビジネス)を手渡す仕事と言えると思いますが、"経営にサイエンスを持ち込む" ことで世界的拡大を遂げたコンサルティングファーム "マッキンゼー" は、KPI至上主義に走った結果、現在失速傾向にあるといいます。

優秀な頭脳を集め、科学を用いて最適解を出すことに長けていたマッキンゼーでしたが、人材が流出することで彼らのコンサルティングノウハウが他社に漏れ、そのノウハウや解自体への価値が下がったことが指摘されています。本書で言うところの "差別化の消失" です。どの企業も科学を利用して最適解を出せる今、正解が同じでは差別化が難しくなるということですね。

大企業によるコンプライアンス問題

さらにこのフェーズになると起きてくることにおいて、現場の疲弊とモラルの低下を挙げています。ここでは事例として東芝の粉飾決済、三菱自動車の燃費データ偽装、電通の広告費水増しなどの大企業のコンプライアンス問題が挙げられています。最近ではかんぽ生命の不正販売もこのカテゴリーに入りそうですね。

つまり技術的革新がないまま既存の商品を売り続けようとする。商品のコモディティ化が起こっており、市場にニーズがないにもかかわらず商品を売ろうとする。競合他社との競争に勝つためにとにかく値段を下げる。その結果少ない賃金で社員を搾取するようになる。無理のあるKPIを設定し、現場を疲弊させた結果、コンプライアンス違反が起こるということです。

科学経営の行き詰まりから一抜けしたいなら美意識を身につけろ!

資本主義と言うものはイノベーションを前提に作られた理論だといいます。しかしこれといった技術革新がないまま、ニーズのないところに物を売らなければならない、という過渡期に立たされているのは分かります。次の技術革新といえば人工知能になってくるのでしょう。

論理力、分析力だけを磨いても行き着く答えは同じ。ひいては技術革新がないまま突き進んでもいつかは壁にぶち当たるということに気づき、このソリューションとして美意識に磨きをかけているというのが世界のエリートだということなのです。

エリートが身につけている美意識って何?

ところで "美意識" って何のことを指すのでしょうか?

山口さんは美意識のことを真・善・美のことを指すといいます。

真=何が正しいのか

善=何が良いことなのか

美=何が美しいのか

この3つに関して、これまでの科学的ビジネスの世界では

真=論理・分析

善=法律

美=市場調査

という外部規範だったもの(現在コモディティ化している物)を

真=直感・感性

善=道徳・倫理

美=審美眼

内的モノサシで測れるようになる必要があると述べています。

美意識と宗教のコンセプトは似ている

ここまでが本書の内容の紹介でした。ここからは私自身の考えを書いてみたいと思います。

私は山口さんのおっしゃる内的な美意識には宗教のコンセプトに近いものを感じました。科学が外部規範であるとしたら、宗教は内部規範にとても近いと考えます。

例えばイスラム教には " 旅人には親切にせよ" という教えがあるといいます。実際イスラム圏の国を旅した時、人々は想像以上に親切で驚きました。また、タイの仏教には、他人に対して良い行いをすると徳を積むことができるという "タンブン" という教えがあります。

教えというのは科学的なものではありません。しかし人間がそれを真理だと信じ、行動の規範にもなるひとつの美意識であるということができます。

日本人は無宗教だとは言われますが、諸外国と比べて街中にゴミが落ちていないこと、携帯電話や財布を落としても無事に交番に届けられているということは、我々が一種の美意識を共有していることが起因しているでしょう。

日本にも見えない宗教が息づいている

日本人の美意識に大きく影響しているもののひとつに儒教というものがあると思います。儒教はもともと中国から伝わった思想家孔子による教えです。"目上のものを敬え" という思想はこの儒教から来ています。

社内でいうと、上司に逆らってはいけないとか、上司より早く帰ってはいけないという共通観念はここから来ており、よくよく考えてみればロジカルではありません。

私が社会人になった頃には、定時を過ぎてもタイムカードを退勤にしてからまた働くという "無給残業が美学" という空気がまだありました。これが高度経済成長期の職場でのモットーが由来しているものでしょう。このように美意識、美学はロジカルではないからこそ、権力のある人々に都合よく作られることもあります。

国特有の美意識は国際的市場において差別化になる

日本人が重要視する物といえばもうひとつ "他者の目" です。我々は比較的に親から「人に迷惑をかけちゃいけませんよ」といって育てられます。そのせいか成人してからも "他人にどうみられているか?" ということが異様に気になります。他者の目というのは日本人の美意識を語る上で切り離せないものに感じます。

昨今では「人の目を気にするのをやめよう」「自分の人生を生きよう」なんていう言葉もよく聞かれますが、人の目を気にするが故に人の心をかき乱すようなことをしない、というのは我々日本人の一種の美意識でもあります。さらにこの美意識に感動して日本を後にする外国人も少なくありません。

差別化のコンセプトでいうと、我々日本人が従来持っていた美意識というのは国際競争力という面においてはプラスに働くかもしれません。

自己実現欲求の消費

人々は決してモノ自体を(その使用価値において)消費することはない。―理想的な準拠としてとらえられた自己の集団への所属を示すために、あるいはより高い地位の集団を自己の集団から抜けだすために、人びとは自分を他者と区別する記号としてモノを常に操作している。『消費社会の神話と構造』J.ボードリヤール,1970

本書では、以上の引用とともに自己実現欲求の消費ということについても語られています。

例えばアップルが販売しているりんごマークのラップトップに関して、多くの購買理由は「スタバでMACを開いて仕事をするような人間になりたい」という自己実現の欲求にあると指摘しています。

アフターコロナ後の人間の精神的進化とは?マズローの欲求段階説からみるアフターコロナの次元上昇でも解説した通り、人間というのは本当に心理学者マズローが提唱した通りの精神的(欲求的)成長を遂げています。

高度経済成長期から今までの人々の消費というのは、上記の引用のように所属欲求と承認欲求が根底あったということは、誰もが自覚していることではないでしょうか?

白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の三種の神器を持つことは、"理想的な準拠としてとらえられた自己の集団への所属" でしょうし、30年ローンの家を購入することは、社会人として一人前と思われるための承認欲求であったかもしれません。

アップルのマックに関しては、ファッション性が強いからかと思っていましたが、欲求の段階が上がっていくと同時に購買理由も変わってくる、というのは大きくあるなと思いました。

さらにインテグラル理論のケン・ウィルバー曰くすでに5%の人間は自己超越欲求の段階に足を踏み入れているらしいので、そろそろ新しい購買の形が見えてくることでしょう。

美意識を身につけたエリートは最強なのか?

私が本書にひとつ疑問があるとすれば、世界のエリートたちは美意識を身につければ本当に次の時代を勝ち抜けるか?というところです。

そもそもこれまでのエリートというのは、左脳がよく動き、論理的な判断ができて、いわゆるエリートコースという道を邁進して来た人たち。彼らは公式が好きな人々、レールが好きな人々で、生きる態度に関しては消費的にも思えるのです。

彼らが同じアートコースに通って、同じ美術史を学び、同じ哲学を学んで違いを出すことができるのかと。アートの知識のあるエリート、同じアート思考をするエリートが増えるだけじゃない? と。

あ、本書でも類似の疑問がありました!

エリートというのは、自分が所属しているシステムに最適化することで多くの便宜を受け取っているわけですから、システムを改変することのインセンティブがないわけです。

世界は新しいアングルを求めている

次の時代を勝ち抜けるのは涼しい部屋でのお勉強が得意なエリートではなく、体当たりな人生を好む道端のロック野郎だと思うのです。

本書には、知的反逆というタイトルで、支配的なモノやすでにある既存の価値観において挑戦状を突きつけるロッケンローラーに関しても触れられています。

既存の価値観に対する「果たして本当にそうなのであろうか?」という疑問。解に関する疑問を繰り返すことが、真の哲学であり、より深い真理に近く方法だと信じております。

美意識を身につける方法として、哲学、絵画、詩、文学を挙げています。これらを創作、堪能、思考する中で、物事に関して新しいアングルでの捉え方をみつけていこうという提案です。

右脳の時代 -考えるよりも感じられる人が勝つ-

コモディティ化した社会では、確かに新たな視点、新たなアングルを誰もが求めています。

これまでは左脳をフル回転させて、誰もが納得するひとつの解を出すことに邁進する時代でした。だから職場ではもっと論理的にとか、左脳を使え!とか言われたわけです。

しかし人工知能など、人間に変わる左脳が誕生しつつある今、私たちが動かすべきは右脳なのかもしれません。我々は左脳と右脳、2つのポテンシャルしか持っていませんからね。残された方で差別化するしかない、いや悲観的なのではなくて、この感じる、味わいこそが我々人間の幸せな道であり、進化なのでしょう。

自分が目の前にある物事、人、状況に対してどう感じるのか。それはそれぞれ似て非なるものなのだと信じています。

4,5年前ほどから "自分業" という言葉を聞くようになりました。自分がどう世界を見ているかということに関して発信して、共感したファンに向けて、自分が好きな物を売るというコンセプトです。

そんなことができるのはインフルエンサーだけ、と思っていましたが、クリックファネルとかショッピファイが欧米で盛り上がっている今、自分自身をブランドにした小規模ビジネスというのは、次の時代の主流になるのかもしれません。それこそ現在大企業が販売製造しているような物品は、人工知能部長と、少しの人間の管理者に任せておけばいいのかもしれまん。

これはあくまで私の意見ですが、美意識とは感じる力に今一度立ち戻り、自分というのは、目の前の対象や出来事に対してどういった感情を持つのか、何が好きで何が嫌いなのかを見つける旅、そしてそれを元に自分の中のルールや世界を書き換えていくことだと思うのです。


○一緒に読んで欲しい記事












この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?