森女と一休

「彼氏/彼女ができる本」01 『森女と一休』 町田宗鳳

それぞれの境界のなかで、みんな悩み、苦しみ、もがいて生きている。そのもがきが尊いのだと本書は教えてくれる。遺された逸話や書からしか想像の域を出ない人物でありながら、多くの人々に愛され続けている禅僧「一休宗純」から、彼女、彼氏をつくるその前に、大切なことを学ぼう。むふ♪

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『森女と一休』 町田宗鳳 講談社 2014/11/20初版 272頁

 頻発する自然災害、疫病の蔓延、そんな時に頼るべき政治と宗教界は欲にまみれ腐敗。人心は乱れに乱れていた。その日を生き抜くだけで精いっぱいだった時代に、戒律を重んじる仏教界のなかにあって、破戒僧として生き、民衆とともに生きた禅僧がいた。
 本書は、遺された逸話や書画からしか想像の域を出ない人物でありながら、多くの人々に愛され続けている禅僧「一休宗純」を、臨済宗僧侶・町田宗鳳師が描いた評伝小説だ。「生まれ変わっても、また一緒になりたい」と一休が愛してやまなかった盲目の女琵琶師・森女の言葉によって、一休がどのように悩み、苦しみ、悟り、時代を生きたのかが明らかにされる。
私は本書から、正邪、善悪を超えた先にある、生きとし生けるものの生命の充実を教えてもらった。命を捨てる覚悟で悟りの境地を得た一休禅師は、そののち、仏教で定められている戒律をことごとく破戒し、餓え、病を抱えながらも生き抜こうとする民衆に「仏」を見ていく。「泥沼にも蓮の花」というが、一休禅師は「泥沼」そのものが美しく、仏なのだという。
ここから本題に入りたい。「なんでこの本で彼女、彼氏ができるんかいな?」ということだが、この物語に「いまを味わいつくして生き抜こうぜ!」という、メッセージをはしはしに感じ取ってしまうのでR。
みんな、それぞれの境界のなかで悩み、苦しみ、もがいて生きている。その「苦」(彼女・彼氏がいない)のなかで怠慢をせず、向き合い、心を込めて、一所懸命に生きることの大事を、一休の生きざまが教えてくれる。出会ってしまった目の前のその人、出遭ってしまった目の前のその事と、正邪、善悪、損得を超えて合掌しながら味わっていくなんて、私はそんな人に惚れてしまう。
いまも一休禅師が愛される理由も同じではないだろうか。変えられない宿命を呪う一休禅師に、自殺をはかろうとした一休禅師に、みなと歌って踊る一休禅師に、77歳で孫ほど年の離れた娘に恋をする一休禅師に、「苦しみの世に生を受けたからこそ、それを楽しんでみせるのが生まれてきた者の心意気」というメッセージを感じ取ってもらいたい。

森女と一休

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一週間が始まる毎週月曜日には、未来出版研究会おすすめの本を紹介させていただきます。

今回は、「彼氏/彼女ができる本」です。
※恋人が人生のすべてはありません。

今後はさまざまなテーマで紹介していく予定です

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