創造力は移動した距離に比例する

モンゴルへの旅
大学2回生にもなると専攻する言語学習を通じて、その国に行くのが私が通っていた大学の恒例行事になっていた。今もおそらくそうなのだが。専攻するモンゴル🇲🇳に行くのはもちろん初めてで、先生や先輩に色々教えてもらい、ルートや向こうでやることを決めた。
大学生の夏休みは長く、それも考えて少し冒険ルートに。神戸港から天津港まで船で1泊2日、天津から北京まで各駅電車で約6時間、北京から内モンゴル自治区の二連浩特(エレンホト)まで電車、そこで1泊し乗り換えてウランバートルまで。行きだけで1週間くらいかかった記憶がある。天津までの船は大きな客船で甲板で子供達と大縄跳びしたり結構楽しかった思い出があるが、道中はあまり覚えてない。何かとても辛く大変だった気がする。モンゴル側の国境の街はザミンウードという名前で、モンゴル語だと『道の扉』だ。洒落ている。
モンゴルで1ヶ月くらい滞在した。草原で2週間くらい遊牧民の家でホームステイ、馬に乗って羊の放牧、乳搾り、羊の解体、満天の星空を経験した。ウランバートルではモンゴル語の語学学校に2週間くらい通ったような記憶がある。草原ではモンゴル人とよくモンゴル相撲をしていたが、主人は180cm/100kg、徴兵経験者で桁外れに強かった。モンゴルに徴兵制があることを初めて知った。
日本への帰国ルートは行きと全く同じだったが、天津でちょっとした発疹みたいな症状が出て、草原で食べさせられたネズミ(タルバガン)か??と焦ったが特に何も身体に異常は出ず、無事に帰国。

翌年は富山から船でウラジオストクへ行き、そこからシベリア鉄道に乗った。海外電車あるあるですが、乗る車輌を見つけるのが難解すぎる。シベリア鉄道はとりわけ難しかった。ウラジオストクの次の大きな駅は確かハバロフスクで、そこでたくさん人が乗ってきた。ロシア人のおばさんに家庭料理のパイみたいなものをもらったのを覚えている。言葉は全く通じなかったが、何かとても嬉しい気持ちになった。車両には1名担当のスタッフが常駐し同じ時間を過ごす。彼女はロシア人だし、あまりちゃんと意思疎通はできなかったが、とても親切でいい人だったことを覚えている。ものすごくいい笑顔で撮ったツーショット写真が残っている。
この年はロシアから南下しモンゴルに向かった。また草原に行って3週間ほど遊牧民のゲル(移動式テント)にホームステイした気がする。
そのあとまたウランバートルから鉄道に乗り北上、モスクワに向かった。ロシアは広大だ。東から向かいカスピ海にぶち当たり、カスピ海の下弦に沿って西に向かう、半日くらいは窓の右側に広大な湖が見えていて、停車駅の町では湖で取れた魚を使った郷土料理を買って食べてみた。地元の人が作った料理はなぜか温かな記憶だった。そのあとエカテリンブルクで停車して、モスクワに到着した。冷戦下ではこの国とアメリカが覇権争いをしたことを勉強したが、ひたすら広大で、大きな街以外はほぼ何もない景色を見ながら、物思いに耽った。
モスクワからフィンランドのヘルシンキに電車で移動し、デンマークのコペンハーゲン行きのフェリーに乗り、デンマークの西の端からイングランドに向かった。その当時LCCの先駆けだったライアンエアーをネット予約して2000円くらいで飛んだ。
ロンドンに着いたけど、ヒースローではなくスタンステッドという田舎の空港で、そこからバスに乗ってロンドンに向かった。友人が住む街はさらに遠かった。ロンドンで帰国チケットを買って日本に帰った。
これは一夏の思い出だが、私の人生は旅をすることで大きく変わった。その土地の人と触れ合い、料理を食べ、歩いて地面を踏み文化に触れて匂いを感じる。五感をフル活用して、自分の知識を確認したりアップデートすることで大きな成長に繋がったように思う。また、トラブルへの対処に慣れることでメンタルも強くなったし、思考が柔軟になった。人のことよりも自分に集中するようになった。一方で人に頼ったり、人と一緒に何かすることもスムーズにできるようになった。
確かNewspicsの佐々木さんが仰っていた言葉なのだが、人は新しい場所や初めての経験をすることでまた新しい自分に出会えると思っている。今の状況は非常事態で特殊な状況だが、人々のマインドセットは変わらないでほしい。確かにネットを通じて得られる知識は大きいし、触覚・味覚・嗅覚を補完できればVRなどでリアル体験と同じことをリモートで体験できるだろう。その未来も遠くないかもしれない。
それでも私は自分の足で新たな場所に一歩踏み出すことをやめず、成長していきたい。今はちょっとだけ我慢して、出来ることはやっていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?