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ギフテッドって?<クラファンチャレンジ特別記事②>

そもそもギフテッドって???

という疑問が浮かんでくるだろうと思います。

「みんなギフトを持っている」
とか
「発達障害もギフテッドだ。」
等という願いはとりあえず横に置いておいて

はっきり言って「決まった定義」はないのですが、
だからと言って「みんなギフテッド」ということでもない。

今は、特にどのような基準で世の中が動いているか?というと
文部科学省が発表している報告書を基準に考えるとよいのだと思います。
その中を抜粋すると

○ 才能に関する定義については、これまで先行的に取組が進められている諸 外国の例をみると、一定のものがあるのではなく様々なものとなっているが、 概ね おおむね の傾向として、IQ(知能指数)などによる一律の基準を設けるのではなく、 大綱的な定義を置いていることが多い。また、その際は、才能を科学技術、芸 術、スポーツなどの多様な領域における領域固有なものとして捉えている例 がみられる6。
○ また、どのように才能を見いだしていくのかについては、伝統的に知能検査 や認知能力検査、学力テスト等が活用されているが、現在はそれだけでなく、 児童生徒の制作物や発表、教師や児童生徒本人の質問紙やチェックリストな どを包括的に活用する例もみられる。
○ 関連して、才能の全般的な特徴を「普通より優れた能力」、「創造性」、「課題 への傾倒」の3つの要素に大きくまとめ、才能とはこれら3つの要素の相互作 用であると捉える考え方がある7。この考え方に立つと、3つの要素の表出の 仕方は児童生徒によって異なるが、いずれかが高いことが才能を見いだす手 掛かりになるとされる。

特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する 学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議 審議のまとめ

私が開校準備を行っている主にお預かりしたいと思っているお子さまは「知的ギフテッド」と称されるIQが高いけれど、それゆえに学びづらさや生きづらさにつながってしまっているお子さまです。
じゃぁ、それ以外は通うことができないのか?と言われるとそういうわけでもない。と伝えたい。

文部科学省が「はっきりした定義がない」と言っている以上、「ギフテッド」であるかもしれない。その疑いがある。という状態であってもその子の教育環境をしっかりと整備してあげるべきなのです。

まさに、特別支援教育の一つだと考えています。

社会を見渡してみると目を見張る活躍をしている人の多くは「ギフテッド」であろうと思われるし、その一方で「発達障害」であるとも言われていたりこします。

ユニークさというのは他と違うということであり、そのユニークさを「才能・長所」と捉えるか「苦手・短所」に目を向け「障害」と言うのかは表裏一体なんだと思います。
日本では「ユニーク」は「変わっている」ということで、良くないイメージをしがちだと思うのですが、「ユニーク」というのは決してネガティブワードではないのです。

だから、お父さん、お母さんが「うちの子はユニークで才能がある。可能性を秘めている。」思うなら、その可能性を信じてお子さんの「やりきりたい」を支えてあげてほしいと思います。

もし近くにギフテッドのお子さんの教育環境を模索されているご家族さまがいたら、ぜひ、ご相談ください。

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クラファン