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理想を語るのが先生の仕事なのか?

僕がうつ状態に陥った時に気が付いたことがある。
それは、「自分の心の声」を無視してきたということ。

どうしてそんなことになってしまったのか?
僕は、学校の先生にも責任があるように思うのだ。

僕の父親は高校の教師だったし、母親は戦前の尋常小学校の校長の娘だった。そんなわけで、僕の親戚には教師がゴロゴロいる教師一家だった。

そんな僕から言わせてもらえば、学校の先生の中には、理想を語る人がとても多いと思う。
ところが、生徒が生きているのは、あるいは、これから生きていかなければいけない世界というのは現実の世界なのだ。

理想と現実の間にかならずギャップが生じる。
先生には、そのギャップを埋めていく現実的なやり方を教えてほしかった。

「みんな仲良くしましょう」が苦痛だった

僕は、生まれた時からおっとりとしたおとなしい性格だった。
これは、生まれつきなのだから仕方がない。

おとなしい性格の僕だったので、激しい性格で意地悪で乱暴な友達が苦手だった。

ところが、幼稚園でも小学校でも、必ず「みんな仲良くしましょう」と教えられた。
小学校に上がるときには、「友達100人できるかな~♪」と歌った。

でも、「みんな仲良くしましょう」というのが僕を苦しめた。

「一年生になったら」 作詞 まど・みちお
一年生になったら
一年生になったら
ともだち100人 できるかな
100人で 食べたいな
富士山の上で おにぎりを
パックン パックン パックンと

一年生になったら
一年生になったら
ともだち100人 できるかな
100人で かけたいな
日本中を ひとまわり
ドッシン ドッシン ドッシンと

一年生になったら
一年生になったら
ともだち100人 できるかな
100人で 笑いたい
世界中を ふるわせて
ワッハハ ワッハハ ワッハッハ

僕は、クラスの全員と仲良くならなければいけないと思っていた。でも、どうしても苦手な子がいた。そういう苦手な子とも仲良くならければいけないと思っていたので、なるべく一緒に遊ぶようにしていたのだけれど、どうしても仲良くなれなかった。そして、嫌な思いもたくさんした。

そして、仲良くなれないのは自分のせいだと、自分を責めることがあった。
それが苦痛で仕方がなかった。
みんなと仲良くしなければいけないのに、仲良くなれないのは自分のせいだと思っていたのだ。

ずいぶんと大人になってから、「すべての人と仲良くするなんて不可能だ」と思うようになった。というか、あきらめることができた。あきらめることができるようになって、ようやく、「仲良くならなければいけない」という思いから解放されるようになった。

どうして先生は、そんな無理難題を子どもたちに押し付けるのだろうか?
「仲良くなれない子とは、無理に仲良くしなくてもいいよ」と教えてくれないのだろうか?
僕は、そこがとても気になるのだ。

学校は特殊な社会

今から考えると、学校というのは非常に特殊な社会だと思う。
同じ年齢の子どもたちばかりが集められて、一つの教室に入れられて、同じ授業を受ける。
ただ、同じ年齢というだけで。

沢山の子どもたちに、同じことを一方的に教えるだけなので、おのずと先生の言うことが「正しいこと」だと認識するようになる。

自分の考えや感じ方で違和感があっても、「先生が言うのだからそれが正しいんだろう」ということになって、それ以上考えることが無くなってしまう。

これを続けて行くとどうなるか。
自分の意見や考えを持てない人たちばかりが育ってしまうのだ。

クラスメート全員と仲良くするなんて、実際は不可能なことなのに、それが正しいとされてしまうのだ。そこに違和感を感じたとしても、それは自分が間違えているんだろうと、子どもはそう考えてしまう。

ところが、一般の社会は違う。
いろんな年齢の人がいる。
いろんな意見を持っている人がいる。
みんなそれぞれに違う。
違うのが当たり前。

学校と社会は全然違う。
社会に出るために学校で学ぶのに、全然違う環境で学んでいるのだ。
これでいいはずがない。

正解のない問題を考え続けること

人生には正解のない問題がたくさんある。
そういう問題に対しては、自分なりの答えを自分の頭で考えるしかない。

でも、そういう問題に対しても、先生をはじめとする大人たちは正解らしきものを押し付けてくる。
だから、どこかに正解らしきものがあると錯覚してしまう。

そういう感覚になると、自分の頭で考えなくなる。
たとえ考えたとしても、それが正解なのかどうか、正しいのかどうかがとても気になってしまうのだ。

そもそも正解のない問題は、自分で考えて自分で決めるしかないのだ。
そして、自分の考えは、心の声が教えてくれるのだ。

正解を求めて、自分の頭で考えない人には、心の声を聞くことはできない。
僕もそういう状態に陥っていたんだ。
だから、自分の心の声を聞くことができていなかったのだ。

理想は一見正解のように見える

理想を語るというのは、一見正解を語っているように感じるかもしれない。
しかしそれは、単に理想であるだけで、現実問題の解決策にはなっていない。

そりゃあ、みんなと仲良くできればそれは理想的だ。
だけど、現実問題としてはそれは不可能だ。

じゃあどうすればいいのか?
そこがとても重要なんだ。

それに対して、「仲良くなるように努力しなさい。」では解決策にならない。

だから、理想を語るのはとても危険なのだ。
もっと現実的に考えることが必要なんだ。

自分の頭で考えよう

一番大切なのは、正解を求めるのではなくて自分の頭で考えること。
思考停止に陥ってしまったら、大切なものが見えてこないし、心の声も聞こえなくなってしまう。

理想を求めるのではなく、現実的に考える。
正解を求めるのではなく、自分の頭で考える。

そして、心の声を聴く。

それがとても大切なんだよね。

(つづく)

自分がうつ状態に陥って、そこから這い上がってくる過程で考えたことなどを書いています。自分の思考を記録しておくことと、同じような苦しみを抱えている人の参考になればうれしいです。フォローとスキと、できればサポートをよろしくお願いします!