自分が不登校だった時のこと①(不登校を脱したきっかけ)

こんにちは!

ご覧いただき本当にありがとうございます。

ブログを見ていただいた方からDMやコメントをいただき

本当に嬉しく、モチベーションアップになっております。

本当に本当にありがとうございます!!

過去のブログで自分が不登校だった時の事をたまに書いていましたが

「自分が不登校だった時のこと」をこれからシリーズ化してブログを書こうと思います。

私の経験が、今不登校で悩んでいる子やそのご家族、また今不登校の子と関わっている方、不登校についてあまり関心のない方まで、何かお伝えできることや、感じていただけることがあれば嬉しいなと思っています。

まず不登校になった期間ですが、中学1年生の夏頃から中学1年生卒業までの約半年間~1年の間だったと思います。(夏前も休みがちだったので)

よく昔の話をすると不登校をどうやって脱しましたか?というご質問をいただくので、先にお伝えすると私は寮のある学校に転校したため、半強制的に不登校生活が終了致しました。

強制的と言っても、親が学校を探してきてくれ、見学に行き、自分で行くことを決めました。(学校に行くことを強制されたという意味ではありません)

この「自分で行くことを決めた」というのが、もの凄く大切だと思っています。

また、自分で何をやりたいかが明確だったことも重要だったな~と思います。

ただ、勉強がしたかった。普通の学校に行きたいでした。

(理由は社会のレールから外れる怖さからかな?と今振り返ると思いますね)

そのため、不登校の子でも受け入れてもらえる学校に転校しました。

さてさてきっかけですが、私が不登校だった時はスマホなどはなくインターネットと言えばまだまだPCの時代でした。

ですので、自分で情報収集することもできず(PC持ってなかった)、このように不登校関連のブログを読むことも誰かに相談することもできませんでした。

(今思えば親は必死に情報収集してくれていたのだと思いますが)

ですので、このブログを読んで変わることができた!とかネット上でこんな人と出会ってとかはありません。

きっかけで覚えていることは、単身赴任に行っていた父が、家に帰ってきて

今後どうするかを真剣に話し合ったこと。(内容は覚えていませんが、父の顔が今までにない真剣な顔だったことを覚えています)

そして、このまま引きこもったら家から出す。今の状況は許されないという言葉でした。

(この言葉には賛否あると思いますが、結果として私は後がないと思って踏ん張れました。本人が受け入れ感謝しているので、ご批判はご容赦ください)

私もこのままではいけないと思っていましたし、自分の人生をどうにかしないといけないと思っていたので、覚悟を決めるきっかけになりました。

寮生活は辛いことも多かったですが、もう後がないと思って逃げることは考えませんでした。

今の境遇は自分が招いた結果だと私は受け入れることができ、もう逃げ場所はないから必死に頑張るしかないと努力することができました。

少々荒療治的なもので私はきっかけを掴み、不登校を脱する覚悟を決めました。

一つお伝えしたいのですが、私のやり方(脱したきっかけ)をオススメしているわけではありません。私の性格もあるでしょうし、環境もあったかと思います。

その子に合う・合わないがありますのであくまでも一例としていただければと思います。

しかし、自分の意見を尊重してくれたこと(親が話を聞いて希望の道に進めさせてくれたこと)やその環境を見つけてきてくれたことなど親には本当に感謝しかありません。

結局他人は、環境を整えてあげること、そして見守ることしかできないのかな、と思ったりしています。

人に強制されてやることは、何かあった時にやれと命令してきた人の責任に転嫁することができますからね。

例えば学校に行け!と言って行かせたとしても、頑張ろう!と思うのではなく、なんで行かせたんだ!やっぱり駄目じゃないか!と考えてしまうと思います。

他人に命令され、強制された人生は自分の人生ではなく、他人の人生です。

ですから子どもの人生に対しても、強制できないし、してはいけないと思っています。

ただ、思春期の子は大人が思う以上にまだまだ子どもの部分がありますので、一緒に考え、選択肢を与えてあげ、環境を整えてあげることが大切では?と思います。

今日はここまでにしたいと思います。

私の不登校経験が、少しでも皆様のお役に立つと嬉しいです。

一緒に不登校のこと・その問題について考えていきましょう。

そうすれば、少しずつ子どもたちの環境も変わってくるのかなと思います。

最後に

不登校の子と関わっている方は、本当に凄いなと思っています。

(不登校支援活動でなくても)

これを書いていて、本当は「不登校支援」という言葉は不要なのかなとふと思いました。

不登校の子に関わること、何かを教えること、話をすること、それだけで支援になっているし、どこでも居場所は作れる、作っている人がいるというのが理由です。

いろいろな気付きをいただき、本当にありがとうございます。

また最後までお読みいただき感謝です。

今日は祝日ですので、皆様の一日が楽しいものになりますように。

ありがとうございました。

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