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人はみんな複数の自分があり、矛盾した気持ちが共存している。【5/30追記】

興味深い記事を
見つけました。


この記事によると

人間はみんな
アプリのように
たくさんの自分を
持っていて

そのどれもが
本来の自分であり

固定化された1つの
「本当の自分」
「ありのままの自分」
というものは存在しない

ということなんだそうです。
(詳しくは記事を
   読んでみてください)



となると・・・


となると、ふつうに

優しい自分と
冷たい自分が
同時にいたり

落ちついたものが好きな自分と
ノリのいいものが好きな自分が
同時にいたり

髪を切りたい自分と
髪を切りたくない自分が
同時にいたりするわけですね。

そして
それなら

「こうも思うし、ああも思う。
   矛盾した気持ちを抱えている……」

とか

「あの時の自分と今の自分、
   なんだか全然人格が違うみたいに
   感じる……」

とか
あるいは

「えっ、あの人、こんなに
   作風の違う作品を作れたの?」

とか

そういうことを思うのも
特におかしくないというか
当たり前のことなんですね。

だって
それぞれの人に
複数の自分がいる
(1人の人間の中に
   複数の人間がいる
   みたいな)わけですから。

「相手を知れば知るほどわからなくなる」というのは
「相手についてたくさん知る
   =多くのアプリを発見する ということだから、
    深く知るほど『こういうのがこの人だ』という像が
   ブレまくっていく」ということなのでしょうね。


自分の中に
キャラクター(どちらの意味でも)が
複数いて対話をしているのとか

まだまだ
不思議ちゃんの部類かなあと
勝手に思っていたんですけれど

この記事を見ると
意外とそうでもなさそうだな
というか

より深く考えて
それに気がつけた人特有の
感覚なのかもしれないなと
思えてきました。


キャラクターや物語を作る人は、自分の中のアプリについて深く知っている?


キャラクターを
生み出して
物語を作る人は

それぞれ
別の個性を持った
複数人のキャラだったり

キャラAとは
正反対の主張を持った
キャラBだったり

何も考えずに
自分をコピーするだけでは
作れないようなキャラを
自分1人で作ることも
多いのですが

そういう時に

「このキャラと自分、
   意外と共通点あるかも……?」

とか
あるいは

「やっぱりこのキャラは
   どこまでいっても
   理解しがたいな……」

などと
思うことがよくあり

そうやって
自分の中の人格たちを
探るような、漁るような

そんな感じの作業を
自然としている
わけですね。

なので
そういった創作を
している人たちは

ある程度感覚的に
人間の内部の多様性(?)を
理解しているのかも
しれないなと思いました。

物語やキャラクターを作る人の話については
また別の記事に書けたらいいなと思っています。



元型(アーキタイプ)もさまざまな自分のうちの1つ・・・?


心理学者のユングは

人間には
無意識の奥底に
ずっと受け継いできた
共通のイメージが眠っている

と考えていたそうです。


これを
「普遍的(集合的)無意識」
といい

その中心に存在するものを
「元型(アーキタイプ)」
というそうですが

元型(アーキタイプ)は
複数あり

主なものとしては
以下のようなものが
あったようです。

アニマ…男性の無意識の中にある女性的な要素。

アニマス…女性の無意識の中にある男性的な要素。

ペルソナ…人間が社会に適応するためにつける
                 仮面のようなもの。

シャドー…現実の自分とは反対の性質をもった
                もう1人の自分。

グレート・マザー…聖母のような優しさと包容力を
                              兼ねそなえた母親的な要素。


もしかしたら
この元型(アーキタイプ)たちも
複数の自分のうちの
1つなのかもしれませんね。
(実際にどうかは
   わかりませんけれども、
   しかし覚えのある要素ばかり
   ではあります)



理解しやすい、追いやすい人とは

見えているアプリの数が
少ないほど

また
見えているアプリ同士に
類似性があるほど
「理解しやすい人」となり

そういう人ほど
きちんと把握した
(気になった)上で

安心して
活動を追えるのでは
ないでしょうか。


バラバラな特性を持つ
複数のアプリが見えている人

つまり「ブレている人」を
追えるのは

かなり限定された
人だけなんじゃないかなあと
思います。

「その人なら何でも好きな人」か、もしくは
「たまたま自分の持っているアプリと
   ほぼ全て同じだった人」くらいなんじゃないかな と。



しかし
バラバラの特性を持つ
複数のアプリを持つのが
本来の人間です。

ということは
理解されやすい人
追われやすい人ほど

きわめて限定的な
一部の情報しか
見られていない偶像と
いうことになります。

みんなの人気者や
テレビに映る芸能人などは
このパターンが多い
でしょうか。


開示する情報を
意図的に操作できる現代、
それも悪いことでは
ないでしょう。

だれにとっても
わかりやすいよう

意図的に同じ系統の
発言、作品しか出さないのも
戦略や気遣いのうちの
一つですしね。


それに

一部の自分だけを
見てほしいのか、
全ての自分を
見てほしいのか

たくさんの人に
求められたいのか、
少数の人に
大切にされたいのか

というのは

その人しだいですものね。


   


おわりに

……と、ちょっと
取りとめのない感じに
なってしまいましたが

たくさんの自分が
いるんだなあと思うと

人生の中で一体いくつの
自分を見つけられるだろう?と
とってもワクワクしますね!

見つけただけ
自分が取り組めることも
表現できる幅も増える……

可能性の塊ですね。

自己分析の余地が
アプリの(ような自分の)
数だけあるのか……と考えると
がぜん面白くなってまいりました。
(自分について
   深く知るの大好き人間)



そして
冒頭で紹介しました記事の
筆者であるマー様は

読書せずして
読書の恩恵のおこぼれを
もらえるような
良きノートを
執筆されているお方です。

もしよければ皆さんも
おこぼれに与(あずか)りに
行ってみてください(笑)

いや、本って本当にすごいですね。
昔から言われている正しいことや、自分の心が
途端に楽になれる方法がふつうに書いてあるんですよ。
それを知ろうとせずに
たまたま自分が多く聞きがちだった意見に囚われて
落ち込んだり不満タラタラになったりしていたのが
いかに愚かで窮屈な生き方だったのかを痛感しました。
読書は人を自由に、そして楽にしてくれますね。



【5/30追記】

「1人の中に
   複数の要素がある」

「どれが
   表面に引っ張り出されるかで
   本人の性格が変動する」

ということが
わかりやすく表された
ゲームを見つけましたので、
よければ遊んでみてください。
(スマホからも
   手軽にプレイ可能でした)



それでは。

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