見出し画像

【雑記】短歌 話し言葉の「」

 こんにちは。匡成です。タイトルにもある通り、話し言葉にかぎ括弧を付けるかどうかを少しだけ書こうと思います。

 私は、つけなくても良い派だったのですが、結論から言うと、誰かが言った言葉・話し言葉にはカギ括弧を付けた方が良いようです。臨場感が出るからという事です。

―――
短歌の中に、誰かが言った言葉をそのまま挿入することがあります。
その場合、「 」がなくてもだいたいわかるのですが、あえて「 」を付けることで臨場感が出て、そのほうが作品がよくなることがあります。
「なんとなく〈死ね〉と言ったらどうなるか知りたくて〈死ね〉と言ってみました。」  -大松達知 『アスタリスク』
これはきっと学生の言葉でしょう。
一首全体をかぎ括弧でくくっています。
 出典;江戸雪 「今日から歌人 誰にでも画期的に短歌がよめる 楽しめる本」

―――
 ※すみません。全てを一括に引用枠にするはずが細切れになってしまいました。 

 作中主体がこの言葉を言ったのではなく、ほかの誰かが言った言葉になり、この言葉を聞いたという意味になります。詠んだ人が教える立場にある人であれば、学生・部下・自分の子供ということもできます。
 
ですから、ここでは言葉の強力さが示されていて、聞いた主体がこの言葉に衝撃を覚えたことが分かります。「」がないと、毒を吐いてみたかったという単なる言い訳になってしまい意味が変わってしまいかねません。この言葉を聞いた側のインパクトが伝わってくるのではないでしょうか。

1987年に発表された俵万智さんの「サラダ記念日」にも
―――

・「西友」の看板だけが明るくて試験監督している窓辺
・熱心に母が勧めし「ユ-スキンA」という名のハンドクリーム
・我も君もただ「ヒト」とのみ記されて人体見本になりたき夕べ
・君と見し「青い帽子の女」の絵彫刻の森に今もうつむく
(点は、匡成の注記)
                 -出典 俵万智 「サラダ記念日」
―――

 このように、店の看板、道路や施設内のとある標識、絵画名を「」でくくることも多いです。「西友」や「ヒト」という文字に、「青い帽子の女」という絵のタイトルにかぎ括弧が多く見られます。そして一字空けや句読点を上手く使った歌が最近本当に増えました。

 それでもやはり、「韻律=音の響き」の有利性は今なお強く、意外な情景そのものよりも韻律の方が評価に繋がりやすいようです。

 私も短歌は声の文学だという事を日々実感しています。匡成でした。

良ければサポートをお願いします。次回の紹介作品の購入や、今後の創作活動に活用させて頂きます。