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他人の『嬉しいこと』を、一緒に喜べる人

最近、誰かにとっての『嬉しいこと』を、一緒になって喜んだ時はいつだろう。

結婚した、仕事が見つかった、病から回復した…。あるいはもっと些細なことでも、誰かにとって嬉しいことを、一緒に喜んだことが。

先日、他人の喜びを、自分ごとのように喜んでいる方々の姿を目にして、実はこれって簡単なことじゃないよな、と思った。

それは夫と娘と共に、名古屋に行った時のこと。名古屋に行ったのは夫の仕事の一環だったのだけど、娘にぜひ会いたいと言ってくださる方々がいて、私も娘を連れて一緒に行くことになった。

待ち合わせ先に現れた二人のご夫人達。夫を通して知り合い、何度かお会いしているけれど、娘が産まれてから会うのは初めてだった。
二人とも暖かい雰囲気を持った方々で、見ず知らずの人であっても数時間も経てば心を開かせてしまう。そんな二人。

頬を緩ませながら娘を抱き上げて、改めて出産おめでとう、そしてお疲れ様と労ってだささった。
そして差し出してくれた紙袋には、たくさんのプレゼントが。
「旅行中になくなるといけないから」とオムツのセットまで用意してくれていた。以前旅行中に、観光地ではなかなかオムツが手に入らないということを、何件もドラッグストアをめぐって身に染みていたわたしにとっては、なんて行き届いた贈り物なのだろうと感動してしまった。

それから絵本に、よだれかけ、それからなんと、わたしあてのプレゼントまで準備してくださっていた。

一緒に過ごした半日ほどの時間を、娘がぐずった時には率先してあやしてくださり、楽しそうに娘を抱いてくれている二人の姿に、感謝と、二人の温かい心に頭が下がる思いだった。そして何より、娘の誕生を心から喜んでくださっていることが伝わって、嬉しかった。

出産というのは、ある意味では個人的なこと。それを当事者であるわたしと同じように、あるいはわたし以上に喜んでくれている。その喜びはあえて伝えようとしているわけではないけれど、隠しきれなくて現れてしまう、そんな感じなのだった。

自分にとって嬉しいことを、誰かが一緒に喜んでくれることが、こんなにも嬉しいことだとは。

翻って自分は、誰かにとって『嬉しいこと』を一緒になって喜んでいるだろうか。

自分ごとの喜びに対しては過敏で、他人の喜びに対しては鈍感になってはいないだろうか。

そんな反省を旅行先から持ち帰りながら、誰かが喜んでいる時に、その喜びに心を通わせられる人になりたいと思うのだった。

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