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〔美術評〕無条件修復 Pre-Exhibition /milkyeast

古谷利裕
 
*以下は、2015年4月25日(土)~5月22日(金)に、東京のmilkyeastで行われた「無条件修復 Pre-Exhibition」のレビューです。
 

 
 割れた陶磁器を漆で接着し、繋ぎ部分を金で装飾する金継ぎという修復技法がある。これには、(1)オリジナルの復元と、(2)修復をした事実を示す、という二つの意味がある。ある器がかけがえのない物だとするならば、それが一度は壊れたという事実もまた、そのかけがえなさに含まれる。
 
 そこに複製と修復の違いが出る。複製は限りなく同一に近いものを反復させることだが、修復は元々あった物に「修復する」という行為が加えられる。さらには、失われた部分を類推して付加することさえある。修復とは、元の物(オリジナル)を存続させるために手を入れる(変化させる)ことでもある。
 
 「修復」が同時に「作品」であり得るのか。それは、元になった物を存続させながらもそこに別の意味を描き加える時に可能だろう。その時、作品は寄生生物のようだ。しかしここで言う寄生者は、宿主を滅ぼし支配するものではなく、宿主に依存すると同時に存続を支えることで並立する。例えば、私と腸内微生物とは相互依存しているが、互いに自律してもいる。一つの物(場所)に二重の魂が宿るのだ。
 
 会場となるミルクイーストは、活版印刷所として使われていた築五十五年の木造建築で、アーティスト集団の作業場兼住居であるが、二階部分の梁が腐食で傾いている。「ミルクイーストのためのジャッキアップ機構」(坂川弘太+瀧口博昭)は、文字通り、傾いた梁を支えて建物を構造的に補強する機構であり、同時に作品である。
 
 梁の重さを支えるU字に曲がったピンク色の単管パイプは、一階から二階へと天井を越えて伸びている。一階でそれを観ると、支えるというより上から垂れたという印象の軽やかな彫刻のようだが、二階で観るとジャッキが梁を支える様が見える。だが二階では重さを受ける接地部分が見えないので、力の解決しない不思議な重力感覚が生じる(二階の床が薄いので尚更それを感じる)。建物を支える「構造上の機能(修復)」と「そこから得られる感覚(作品)」がズレていることで、「修復」と「作品」とが両立する。
 
 出品作家十八名の作品は、「修復であり作品でもあるもの」という問いへの其々の解答として「自律した作品」である。自律したものとしての作品たちは、修復中の建物に包摂されることで相互に関係づけられ、同時に、作品により建築空間も変容する。企画と会場と作品の間に密な相互作用が生じている。
 
初出「東京新聞」 2015年5月13日 夕刊


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