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〔書評〕『絵とはなにか』(ジュリアン・ベル 著/長谷川宏 訳)

古谷利裕
 

 
 絵とは何か、というあまりに大きくて捕らえ難い主題は、現代のアートにおける「絵画の死」以降の視点から問われている。つまり、「絵は終わった」と言われる現代に、それでも絵を描くことの意味を信じることが可能なのか、という探求として問われる。
 
 画家であると同時に美術史家でもある著者は、この問いを、(十四世紀のジョット以降が主ではあるが)古代からの西洋美術史を振り返ることを通じて探っていく。歴史の検討は、高踏的な人文学的言説とアートとが不可分となったポストモダンの時代までをカバーしており、本書はその意味で、古典から現在まで、西洋美術の文脈を知るためのコンパクトなガイドとして読むこともできる。
 
 美術史の検討といっても、本書の記述は時系列に従う形をとらない。模倣、再現、伝達、意味、表現といった、絵を語る時に用いられるいくつかの言葉(概念)を切り口とし、それらの言葉たちがつくりだす迷路を交通整理しながら、その地図の上に、様々な時代の作品の実例を配置するという形がとられている。本書はその意味で、時間的であるより空間的であり、求心的であるより分散的なあり方をしている。
 
 絵の死は繰り返し語られてきた。写真の登場、モダニズムの終焉、芸術の概念化、多様なメディアの氾濫などによって。その度に絵への懐疑は深刻になっていく。私たちは、美しい絵をつくれなくなったのではないのだが、絵の美しさの「価値」について「確信」をもてなくなっている。それは、「真理でないもの」を崇拝するための空虚な形式なのではないか、というように。
 
 しかし、絵の力とは、一つの本質や単線的な歴史(進歩)へ集約されるものではなく、様々な要素が相互に依存し絡み合いながら多方向に増殖する展開の力である。本書の分散的形式はそのような主張を反映している。絵とは、意味が不確定であるが、なにがしかの意味がそこあると信じられるような視覚的対象と言えるだろう。絵が生みだそうとするのは、崇拝ではなく、世界への信頼ではないか。
 (了)

初出 「秋田さきがけ」「北國新聞」「熊本日日新聞」など 2019年4月


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