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〔美術評〕ジョン・ウッド&ポール・ハリソン 「説明しにくいこともある」について

古谷利裕

以下は、2015年11月21日(土)から2016年2月21日(日)まで、初台のNTTインターコミュニケーション・センターで行われた展覧会のレビューです。
https://www.ntticc.or.jp/ja/exhibitions/2015/john-wood-and-paul-harrison-some-things-are-hard-to-explain/
(初出 東京新聞 2015年12月18日 夕刊)

 言葉には文法があり、この世界には物理法則がある。ただ、文法は絶対的な規則ではなく、意図的に破ることも出来るし、たんに間違うこともある。一方、物理法則は現実空間内では絶対であり、破ることも間違うことも出来ない。物理的に成り立たない状態を頭の中でイメージ出来ても、例えば、それを彫刻として現そうとすると法則に従わざるを得ない。

 ジョンとポールの二人組のつくる映像作品は、重力と慣性、作用と反作用、支点・力点・作用点などの物理法則を文法とし、物の状態(堅さ、重さ、弾性、粘性、摩擦)などを語彙として書かれた詩であるかような趣きをもっている。三次元空間の中で、物と物との作用が生み出す運動を通じて、「物の文法」によって描かれる詩。

 法則に「従う」と言う時、どうしても「縛られる」というニュアンスが生まれてしまう。しかし二人の作品では、法則そのものが自己表現し、「法則が歌っている」かのような状態が現れる。あるいは、法則に導かれることによって「物」たちが踊りはじめ、新鮮なイメージを生みだす。学校で習う物理法則がまるで、ありふれた物を生き生きさせるための魔法のように作用する。

 多くの作品で、作者自身が演者として登場する。人には意志や感情があり、物と違って能動的に動くことができるはずだ。しかし彼らは、自らを物たちに近づけるように無表情で受動的であり、物たちのつくる出来事の連鎖の一部分へと埋没している。この受動性は、物理法則の強調という効果と共に、作品に受苦的な性格を付与する。軽いものだが、困難や危機という状況が生まれる。物たちの鮮やかさ、軽やかさに比べ、人は鈍重なのだ。だがそれは悲劇ではなく、絶妙な喜劇的効果を生んでいる。

 がらんとした空間に、最低限の物だけが置かれ、一つの出来事が起こるか、または可能ないくつかのバリエーションが試される。それは科学的な実験を連想させるが、目的は結果の測定ではなく、イメージを立ち上げることだ。ただの出来事の連鎖からイメージ(詩)が生まれるためには、物理法則が意味と交錯する必要がある。物質的でオートマチックな出来事の連鎖が受苦的な喜劇性と交錯するところに、物理法則による詩が立ち上がる。

(了)


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