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〔美術評〕与えられた形象-辰野登恵子・柴田敏雄/国立新美術館

古谷利裕
 
*以下は、2012年8月8日(水)~10月22日(月)に、東京の国立新美術館で行われた「与えられた形象-辰野登恵子・柴田敏雄」展のレビューです。
 

 「与えられた形象」と題されてはいるが、絵画と写真という媒体の異なる二人の作品に共通するのは、与えられているのは(「形象」よりも)まず空間の座標であり構造であるという性質ではないか。
 
 描かれ、写されている事物や形象が「何であるか」ということより、どのような空間的構造をもっているのか、あるいはそれによって画面がどのような構造を顕わにするのかが問題となっているように思われる。描かれ写されているのは、物というより物を存在させる器としての空間座標であり、その構造を意識化させるような形象をもったモチーフが選ばれている。
 
 例えば辰野登恵子は、七十年代には平面的なマス目や罫線を、二〇〇〇年代の大作ではくり抜かれた棚や積み重ねられた立方体という立体物をモチーフとするが、それはどちらも、平面や空間の幾何学的座標を連想させ顕在化する形象をもつものである。
八十年代から九十年代の反復する装飾模様や連続する球形というモチーフもまた、変形、発展した形で物化した座標のバリエーションと言えるのではないか。
 
 それは柴田敏雄の写真でより分かり易く現れる。柴田がモチーフとするダムや、崖を補強するコンクリートの構造物は、本来連続的で滑らかな形態をもつ、山、谷、崖という空間を、直線を基本とする形態に分解、再構成する。滑らかな空間が幾何学的なグリッドに還元(解釈)される。
その時、無数の複雑な形態の組み合わせであった山岳空間は、同一の(類似する)「基本形態の反復」とその「歪み(破調)」として表現される。
自然の多様な空間と、それを座標単位へと暴力的に還元しようとする力とのせめぎ合いが緊張を生み、歪みを生む。
 
 基本単位とその反復という、空間構造を顕在化する構築性(座標)が一方にあり、もう一方に、その構築性を内側から食い破るような不定形の流動する力があり、その両者の拮抗が歪みを生み、画面に活気や緊張を生む。座標であると同時に物でもある準モノとしてのモチーフは、座標(構造)を顕わにすると同時に、その崩壊を予感させるものでもある。
 
 この点で二人の作品は共通している。
 
 構築と崩壊との軋轢が生む力は、辰野作品では、強い色彩、過剰なボリューム、前後、左右、上下反転等の二項対立として現れ、複雑な明滅が視線を画面内で循環させるが、柴田作品では細部の表情やテクスチャーの突出として現れ、視線を釘付けにするという傾向があるようだ。
 
初出 「東京新聞」2012年10月5日 夕刊


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