レオナルド・ダ・ヴィンチ『手記』

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芥川竜之介の訳によるレオナルド・ダ・ヴィンチの手記の一部です。
イデア論のような、またメメント・モリのような考え方が見て取れます。

人間は「源」へ還ろうとする

人間は肉体としての欲望を超えて、
それぞれの「根源」へ向かおうとする、としています。
プラトンの「イデア論」を彷彿させる思想です。

古典主義かつ進歩主義

その「根源」へ向かうツールとして、
「古代の知恵」を絶賛しています。
(※この点、当読書クラブも似た姿勢をとっています)
すぐれた芸術や言葉は人間の生を超えて生き続ける、と。
また、わたしたちは努力次第で、その知恵を自分たちでよく使うことができる。否、前に進んでいかなければならない、と。
人間の進歩や文明への力強い讃歌です。
※逆説ですが、ダ・ヴィンチは当時の同時代人の知恵に物足りなさも感じていたのでしょうか。

よき生にはよき死が訪れる

メメント・モリとは「死を忘れるな」の意で、
「明日死ぬかもしれないと考えて今日を真剣に生きろ」
というふうに解釈されます。

ダ・ヴィンチの手記にも同様の思考が見て取れます。
すなわち、
「毎日、くたくたになるまでやりきればぐっすり眠れる」
ように
「生をまっとうすれば、よい死の訪れがある」
と述べています。

ペストが猛威を奮ったルネッサンス期のヨーロッパ。
多くの芸術に「死の影」と、
だからこその「生の輝き」を見ることができます。

「最大の不幸」をどう解釈するか?

最後に

最大の不幸は、理論が手腕を超過した時である。

とあります。

どう解釈すればよいか、いろいろなパターンを考察してみました。
===
(1)せっかくすぐれた理論があっても、技術不足でテスト・実現できない
(2)頭では「正義」だ、と理解しているけれども身体が拒否反応を示す
(3)生来の欲求を超えた領域に足を踏み入れてしまい、
 なにをもってしても満足を得られない
===

個人的な「科学者」としてのダ・ヴィンチのイメージから、
また最もストレートに解釈を試みると(1)なのかな、と。

過去の知恵をほしいままにできる「時の恩恵」と、
あまりにも儚い肉体としての自分、その「時の残酷さ」
そのアンビバレントな思いが込められているように感じます。

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