ニセ台湾人、カオサン通りに現る(4)

 不良外国人の仲間たち、すなわちデカダンの集団から足を洗うことになんの覚悟もいらない。行きつけにしていた飲み屋に顔を出さなくなるだけだ。3日もたてば、すでに誰も覚えてはいない。Yのいないバンコクの片隅のどんちゃん騒ぎの日常はこともなく、今宵も展開されているであろう。Yはそれで寂しさを感じることもなければ、プライドを痛めることもない。やつはパラドックスのなかにいた。地元の人間のふりをしながら、長くは留まらないことも同じ頭のなかで理解をしている。こうした矛盾や功利を求めた作為は、かつてのYにとっては、ほとんど身体的な痒みに近しいもので、徹底的な解明をはかるのが常であったが、その頃のYは理性を感性に侵されはじめていたようだ。送られてくる文章も硬質で、どこかのっぴきならない雰囲気を帯びていたエセ論文調から、気軽なエッセーと呼んでもいいものになった。Yの持っていた危うさ、毒はまさにやつが蓄積してきた悟性と薀蓄だったのだろう。そういう意味において、やつはたしかに「透明に」なりはじめていた。
 人畜無害、というとYはおそらく怒るだろうし、不本意ながら「近しい」立場にいるおれのような人間にとって、Yの存在は「無害」ではなく、じっさいやつの学生時代の面影を思い浮かべるときには、背景に毒々しい、あるいは禍々しい黒ずんだ紫の渦巻きというかオーラを欠かすことはできない。周りの連中にとってはどうかというと、Yという人間は理解の範疇を超えていて-それというのも物事に対する動機が違いすぎてまったく話があわないから-悪くいえば不気味で、思い切ってよくいえばミステリアスな存在だったのかも知れない。ただ、Yの病的な潔癖をひとつあげるならば、天性の嘘つきではあっても搾取目当ての詐称はせず、それはとにかく徹底していたので、腹のなかでは糞味噌に思ってはいても(あるいはひがんでいても)、当人にはそれと気づかせないので、少なくとも排斥の対象にはならないようであった。この潔癖がYになんとか社会生活を送らせていたことを考えると、無意識のなせる処世の術であったのではないか。このような「かろみ」がYのバンコク生活の全面にでてきたのである。

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