第十一回 ルター『小信仰問答書』

第十一回はヨーロッパの歴史の大転換、宗教改革を起こしたルターによる、
わかりやすくかみ砕かれたテキストを使いました。

読書会では宗教をベースとした道徳と、校則を対比して、
議論を深めることができました。
その過程を逐一述べるのもよいでしょうが、多少センシティブな部分もあるかもしれないので、
今回はメタファーを多分に取り入れた寓話を創作しました笑


ヌシをめぐる冒険 

                              げんあん:インテリのゲンちゃん さく:ふるーたす

 ぼくの名は福沢。あおぞら小学校に通う5年生だ。ぼくの学校は問題だらけだ。このご時世に!と思われるかもしれないが、体罰は当たり前(ちけい、はりつけ、ひあぶり、いたんしんもん)。校則はキビしく、男子は丸刈り(6mm以下)、女子もおかっぱだ。
 おとなを非難するのは簡単だ。みんなそうしている。仲良しの安吾くんはあまりにヒネクレているから、停学ついでに病院送りになってしまった。残念なことである。安吾くんにも言わなかったが、いまの状況は、ぼくら子どものせいでもあるのではないか、とぼくはニラんでいる。こないだ読んだ外国の本に書いてあったのだ。「愚民の上に苛き政府あり」。つまりバカなひとたちには暴君がお似合いだ、ということだけれども、ぼくらがりっぱにヤンキーしたりシャにかまえていたりするから、おとなもぼくらをぜんぜん信用しなくなっていて、妙なルールをこしらえているに違いないんだ。これも外国の言葉だけれど、マイクロマネジメントというやつだ。教室の貼り紙を見てみよう。たとえばこういうふうに:

・せんせいをよびすてにしない
・となりのひとの消しゴムをぬすまない
・いきものをころさない
・きゅうしょくはもってかえらない
…etc...


☓☓してはいけません。こんなタブーがずーっとならぶ。
当たり前じゃん!というようなことばかりいちいちと。目に入るたび、いらいらしてしまう。次にぼくはこう考えるようになった。ズルしている「愚民」がいたから、こんなルールをつくったのだ、と。われながら合理的で筋が通っている。
 だが、ぼくの頭の中にくらべて、人間の社会というのは非合理で筋が通っていないようだ。
「むかしむかし羽井(ハイ)先生というロン毛の先生がいて」隣の席の日絵(ニチエ)ちゃんはそう教えてくれた。「池のヌシと話して、いろいろ教えてくれたんだって」それが校則になったのだ、と。
 ぼくらのあおぞら小学校には池がある。自然のもので、にごっていて、暗くて底がみえなくてどれくらい深いのか誰も知らない。そこにはヌシと呼ばれる伝説の生き物がいるらしい。本当にいるのか、どんな生き物なのか、現役でぼくらの学校にいるひとで見たひとはいないので、わからないことだらけだ。そんなあいまいな伝説をなんでみんな信じているのか?思うにそれであおぞら小学校という社会が回ってきたからなのだろう。変えるのは勇気がいることだ。ぼくにできることはたぶん、いい子でいること。だってムチは痛いから。


 また残念なお知らせだ。日絵ちゃんが行方不明になった。怖くてだれにも言えないが、ぼくは周りの大人があやしいと思っている。日絵ちゃんの先週の作文をのぞき見してしまったから。その原稿は、たしかこういう言葉ではじまっていた。

ヌシは死んだ。」...


 日絵ちゃんは消されたのだ(おおやけには転校したということになった)。そんなぼくの疑心暗鬼に追い打ちをかけるような出来事が起きた。ぼくらの担任の先生は生徒からワイロを受け取っているらしい。成績をあげたり、規則破りをなかったことにしたり...etc。
権力は腐敗する」。こないだ読んだ本にもそう書いてあったけれど、ぼくはさすがにショックを受けた。

 ついにひとりの男がたちあがる。留太(ルタ)くん。ぼくと成績のトップを争う男だけど、いかにも秀才然として、ユーモアがなくて、あんまり話があわないんだよな...。だったけれど、ぼくは思い知ることになる。たとえ、考え方がちがっても尊敬できる人間はいるものだ、と。
 留太くんはヌシを見た、とは絶対にいわなかった。たまに、見た、というひともいる。そういう連中は「よげんしゃ」と呼ばれ、一時的にちやほやされるが、いずれ誰も相手にしなくなる。UFOとかと同じノリ。留太くんはそういう連中とは違ったということだ。彼はヌシの存在を疑わなかったし、会ったことのない羽井先生にも敬意をもっていたようだ。
 留太くんは理屈を使った。論理をあやつった。一見、意味のない校則に理由をつけて、わかりやすく誰でも実践できるように書き直したビラを校内にばらまいた。一方で、ワイロ教師を厳しく非難した。ヌシはあんたの行いを絶対に許さない、と。留太くんはあやうく、ひあぶりになるところだったけれど、生徒連中をシンパにしていて、たしょう乱暴な場面をのりこえた。すったもんだのすえ、教師は職を追われることになった。

 そんなことがあったあとでも留太くんはえらそうにしない。見たこともないヌシのために給食のパンをちぎって池にまく。そんなことをするのは以前は留太くんだけだったけれど、最近は他の生徒も池の周りに集まるようになった。ぼくはヌシが本当に実在するのかどうか、わからないし(外国の本でぼくのような人間は「不可知論者」と呼ぶらしい)、みんな、もっと自分の頭で考えるべきだと思うのだけれども、たしかに学校の雰囲気はよくなった気がする。半年かけて伸ばしたオールバックの髪型もわれながらキマっていると思う。留太くんとはこれからも気があう仲間にはなれないかもしれない。でも留太くんの頭の良さと勇気をこれからもぼくは尊敬するだろう。
               おわり
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?