20年前の9.11を振り返る/ 何が起き、変わり始めたか(9-11,2001) ーゆらぐアメリカネスのもう1つの姿:ベイエアリアからの報告
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20年前の9.11を振り返る/ 何が起き、変わり始めたか(9-11,2001) ーゆらぐアメリカネスのもう1つの姿:ベイエアリアからの報告

古沢広祐(Furusawa Koyu)

2000年9月から2002年3月まで、米国西海岸UCバークレーにてサバティカル(客員研究)滞在していました。以下は、その時の滞在記から再録します。

*** 今回の米国滞在での最大事件であった、9/11テロ事件とその後の状況、とくにベイエアリアでの平和運動の動きについて、体験記録を共同レポートさせていただきます。 ***
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 何が起き、変わり始めたか(9-11,2001) ー ゆらぐアメリカネスのもう1つの姿 ・・・ ベイエアリアからの報告
 *****************************:池田真里・古沢広祐

「9月11日にわたしたちの国もわたしたちの暮らしも変わってしまった。もとにもどることはない」・・・・America will never be the same. Our life changed forever。   

政治家、ジャーナリストだけでなくふつうのアメリカ市民の多くが、新聞紙上で、テレビやラジオで、その衝撃の大きさをこう書き、語っている。
 いたるところでこの言葉が聞かれた。それは、いまや何か語り始めるときの枕言葉となったかのようだ。9.11テロ惨事の大きさが、人びとに感情レベルで大きな衝撃を与えたことは間違いない。それ以上に、アメリカという存在の根底を突き刺す衝撃の大きさがあった。一つに、大惨事を眼前に体感したこと、そしてアメリカが体現してきた象徴が跡形もなく消し去られ、軍事力の中枢にかざ穴があけられたことへの驚愕もあったろう。あるいは、社会・文化的にはアメリカ的な価値観(自由、民主主義、市場万能主義など)への攻撃とも受けとめられた。

 他方、20世紀以降の文明社会を主導するリーダー的な存在としての自負心が揺らぎ、その裏返しとしての反発もあった。さらには、この世界に、自分たちの認識を超えた存在と世界があり、それが突然目の前に立ち現れたことへの戸惑いと自省を促す衝撃もそこにはあった。
 しかし、その衝撃の深さと広がりをとらえ直す間もなく、見えない敵を見える敵に仕立てあげたブッシュ政権の戦争宣言によって、いっきに戦時体制状態へと誘導されてしまった。アメリカでさえ、またアメリカであるから、戦時体制がいとも簡単に形づくられてしまったともいえる。

 以下では、マスコミに描き出された表層的な動きではなく、その奥に秘められ動いている深層を掘り下げ、描き出してみたい。「変わった」と言う言葉の背後にあるものは何なのか。個人レベルから社会・文化・政治レベルに至るまで、さまざまなレベルから解きほぐすべき課題がそこにある。そこから、これまでの世界の成り立ち方を、根底的に問い直す契機を探り出せるかもしれない。わたしたちが見聞きし、感じ取り、関わり合った人々や事柄を通して、ほんの一断面にすぎないが、アメリカ社会で起きた出来事、胎動する動きなどをレポートしながら、世界や日本の今後について考えてみたい。

     9.11直後の出来事

 その朝、いつものようにラジオを聞いていると、番組が突然中断され、ニューヨークの世界貿易センタービルに飛行機2機が突っ込んだと報じる。続いてペンタゴンにも飛行機が突撃したとニュースが入る。約1時間後、そびえたつ110階建てのふたつのビルが全壊したとのニュースを信じられない思いで聞く。そのとき以来、平常番組は中止、特別番組が続く。誰もが、「第2の真珠湾攻撃」だと語り、電波メディアは「史上最大の米国国土(ソイル)への攻撃」と叫び、新聞には「報復」「戦争」の大きな文字が躍った。

 その日、西海岸のサンフランシスコもひっそりと静まり、「まるでゴーストタウン」とこれも多くの人が語っている。その夜、サンフランシスコと湾をへだてた大学町のバークレーでは、数千人が集まって、ビジルが持たれた。(ビジルとは、夜、野外で行われる抗議と祈りの沈黙の集会)。
 この日早くもサンフランシスコやオークランドの人権団体、グローバル・エクスチェンジ(http://www.globalexchange.org/)などは「報復は解決ではない」と呼びかけ、12日には、オークランドで、「人種差別と戦争に反対する緊急デモ」が組織される。以来、毎日のように、広場で学校で教会で街角で多くの集会、抗議行動、コンサートが行われた。
 この日、日系アメリカ人の団体は、アラブ系アメリカ人、移民、イスラム教徒に対する攻撃を懸念し、「真珠湾攻撃後、日本人に加えられたような迫害を決してくりかえしてはならない」と声明を発表した。ある平和団体の調査では、世界40ヵ国で182の行動に285000人が参加。とくに9月29日から30日にかけての週末は、116の行動に194000人が参加したという。実数は、これをはるかに上回ったと思われる。

 ブッシュ大統領が、戦闘機のアフガニスタン向け配置を命じた翌日、「全米学生運動の日」でもある9月20日には、学生平和行動ネットワークが中心となって、全米33州の150大学で、「平和的な手段による裁きを求める全米行動の日」が行われた。カリフォルニア大学バークレー校でも、2500人が軍事力による報復に反対する意志を表明した。このたびのテロで叔母をなくしたという学生が、もし生きていたら、おばさんもともに立って反戦を訴えたであろうと語った。14日には、ニューヨークで7000人が平和と人種差別に反対する集会を。29日には、前法務長官ラムゼー・クラークが中心になって92年に設立した反戦・人権運動団体、インターナショナル・アクション・センター(A.N.S.W.E.R.)が呼びかけてワシントン、サンフランシスコ、ロサンジェルスなど全米各地で「いますぐ立ち上がって戦争と人種差別に終止符を」(頭文字をつなぐとANSWERとなる)をスローガンに、集会とデモが行われた。
http://www.internationalanswer.org/

サンフランシスコ・ドロレス広場とバークレーの反戦集会

 9月29日、真夏の日差しのもと、サンフランシスコ、ドロレス広場の緑の芝生を2万人近い人々が埋めつくした。プラカード、リボン、バナー、風船、旗が揺れ、舞台からのアッピールに共感の歓声とドラムや民族楽器が応える。プラカードには、「反テロ、反戦、反暴力」、「人種差別と闘おう」、「人種差別にノー、平和にイエス」、「アラブ人であることは犯罪ではない」「旗は憎しみを煽る道具」、「これ以上孤児を増やさないで」、「戦争は答ではない」などの文字が躍る。スペイン語、アラビア語、漢字もある。「日本人は戦争と人種差別に反対する」と在米日本人のグループ、「日系アメリカ人はすべての人の人権を支持する」と日系人の主張も見える。

 昼過ぎ、広場を出発したデモは、街路を埋めて長く続き2キロ近くに及んだ。手をつないで、車椅子で、杖をつきながら、犬を連れて、親子、友だちどうし、恋人たち、ひとりで、グループで、乳母車の赤ちゃんから歩くのがやっとのお年寄りまで、手作りのプラカードやバナー、楽器をもった人々が続く。スカーフをかぶったアラブ女性、むき出しにした妊娠中の大きなお腹にスローガンを描いた女性も。この一帯は、さまざまな民族の住むサンフランシスコでもとくに多様な人々が暮らす地域。デモは途中、イラン人のカフェとパキスタン人のレストランに立ち寄って、連帯と保護を約束する。この2軒は、アラブ人に対する偏見から襲われガラスを割られた所だ。

 広場に戻った人々は、再び次々と舞台にあがって発言を続けた。多くの人が、事件で死んだ人々に悲しみと悼みを表しながらも、それは戦争を認めることにはならないと語った。あるパキスタン人は、戦争で応じれば6千人を超える犠牲者を冒涜することになると語った。アメリカン・アラブ人反差別委員会のメンバーは、パレスチナ人として、爆弾が頭の上に落ちてくることもビルが倒壊することも実感できるとして、パレスチナの銃で心臓を打ち抜かれたこどもたち、死にゆくわが子を見守るイラクの母親たちの名において平和をと訴えた。サンフランシスコ労働会議のメンバーは、この悲劇を戦争へと利用してはならないと決議文を読み上げた。発言者は全米弁護士協会、正義を求めるユダヤ人連合、ベトナム戦争退役兵グループ、高校生など30人を超え、集会は4時過ぎまで続いた。
 手製のプラカードを肩に80代の母親の手を引きながら、近くの町から来たという50代の女性は、集会の印象を「グレイト!」と語り、いろいろなグループに参加しているが、今日はまったくの個人として参加した、長い年月かかったがベトナム戦争だって止められたのだから、戦争を止められると確信していると語った。

 10月7日、アメリカとイギリス軍のアフガニスタン攻撃開始に対しては、即日、抗議の集会とデモが行われた。サンフランシスコでは、中心部の駅近くに千人が集まり、オークランド、バークレーなどでも大小さまざまな抗議行動が行われた。夜には街角、広場にろうそくを持った人々が集まり、ビジルが行われた。翌日も多くの抗議集会がもたれた。
 バークレーでは、正午、カリフォルニア大学バークレー校に数百人が集まり、夕刻は駅周辺をプラカードの波が埋めた。「一体どれだけの人々を殺すのか」と、先住民の虐殺から始めイラク、コソボへの爆撃までアメリカの歴史を批判し、「わたしたちはアメリカ市民ではない、地球市民だ」という発言に大きな歓声が応えた。参加した80代の女性は、「ベトナムを繰り返してはならない」と声をふるわせた。60代の白人アメリカ人女性は、「アメリカとイスラエルの共通点は、どちらもジェノサイドによって(インディアンとパレスチナ人を殺して)築かれた国家ということだ」と語り、同じく60代の男性は「アメリカは世界人口のたった5%しか占めていない。大きな国だと皆錯覚しているのではないか」と語った。

  高まる愛国主義と足元からの不安 ー 2つのアメリカ

 ヒッピー文化やカウンターカルチャー(対抗文化)の発祥地として知られるサンフランシスコ、そして対岸のバークレー、オークランドなどはベイエアリアとよばれ、米国のなかでもきわめて革新的な地域の一つである。なかでも大学町バークレー市は全米を揺るがしたベトナム反戦運動の震源地となった市、全米で唯一、コロンバスデーを祝わずに「先住民デー」を祝う市であり、さらに独自に「マルコムXデー」を祝う市である。連邦議会でただ一人、大統領に武力による報復を実施する権限を与える決定に反対した地元選出議員バーバラ・リーを支持する決議、アフガニスタン爆撃即刻中止を要求する決議を全米で唯一採択した市である。

 住宅街を歩くと、門さきに反戦のポスターを貼り、通りがかりの人がもって行けるように柱に取り付けた箱にビラを入れた家がある。非暴力を呼びかける言葉や絵で飾られた塀がある。ろうそくや花、オブジェ、詩を書いたカードを連ねたバナーなどで小さな祭壇のようなものがつくられた庭先や空き地からは、人々が平和と和解を祈ってビジルを行ったことが知られる。電信柱には、地域からアラブ系の人々に対する偏見と偏見による暴力をなくそうと呼びかける「ヘイト・フリー・ゾーン」のポスターが貼られている。

 しかし、実は、反戦のアッピールよりも数多く目につくのは、家々の軒先に、窓に、車にひるがえる星条旗である。家の門さきの貼られたポスターやビラが焼かれて焦げ跡をさらしているのを見た。バークレー市の決議に対して、全米そして周辺地域から反アメリカ的であると脅迫電話やメールが殺到し、商談や取引を中止するされたとの地元業者の苦情がよせられている。反戦運動も苦戦している。湾岸戦争のときは、サンフランシスコで20万人規模の集会が2度も行われたが、今回はぐっと小規模である。集会には、必ず軍事報復擁護派が現れ星条旗を振りバナーを掲げ、あるいは壇上に上がって妨害する。アラブ系の人々に対する迫害も報告されているだけで千数百件を超える。危害を防ぐためか星条旗やバッジをつけたアラブ系のタクシー運転手、商店主、店員も目につく。

 あのベトナム反戦運動を担ったベビーブーマーたちでさえ星条旗を振っているのだ。その一人、ある男性は涙を流しながらガレージで星条旗を探し、全世界にこれを見よとばかり通りへ向けて掲げたと公言している。ベトナム反戦運動の中で連邦ビルの星条旗を奪い秘匿していたというシアトルの男性が、新聞社を通じて返還したとのエピソードが報じられた。反戦運動で何度もFBIに逮捕されたという新聞編集者は、アメリカのどこの町よりバークレーの星条旗が少ないと悲憤こうがいする。
 人々は品切れになった星条旗に替わり、赤・青・白のものを何であれ競って買い家やわが身を飾り、ある通販ウェブサイトは42000種の星条旗関連商品を揃えて需要に応えかつ需要を煽っている。マスコミでは「アメリカ本土」(ソイル、ホームランド)また「愛国的」という言葉が、国民歌「ゴッド・ブレス・アメリカ」が、「イオウジマ」での勝利の記憶までもが、繰り返し流された。心理的な癒しと力の鼓舞をねらった、また戦時色を広げる政治的なメディア操作の側面が強くあったのだが、それだけではない内発的な動きが伴っていたことも見逃すことは出来ない。

 何が「変わってしまった」のか。何も変わってはいないと、ウーメンズ・イン・ブラックの活動家の女性は言う。「9月11日からブッシュは偉大な大統領になった。ポリスは人々のために献身する英雄になった。変わったのはマスコミと人々の評価だ」。だが、人生を大きく変えられてしまった人々も多数いる。二百万人に及ぶといわれるメキシコ系不法(非登録)滞在者の滞米を法的に認めようという政策は、実現の直前で棚上げされてしまった。多くのアラブ系の人々が、些細な理由であるいは理由なく尋問、逮捕拘留されている。空港安全法が、市民権をもたない人々を合法的に職場から締めだしたのをはじめ、人権侵害すれすれのセキュリティチェックが日常化してしまった。

 事件後の不況で真っ先に解雇された観光などサービス業、製造業の下層労働者の多くは、合法・非合法の移民である。不況の影響はとりわけ個人経営の小企業を直撃して、廃業や解雇が広がっている。さらに、就職に際しての身元調査や、大学など教育機関での学生や教員の情報管理もきびしさを増している。炭そ菌の疑いを口実にして市民運動団体の事務所が閉鎖されたり、警察が調査に立ち入って情報収集を行うことも起きている。多くの人々、とりわけ弱い立場におかれた人々が、テロを口実にした偏見と差別が様々な形で我が身にまで及んでくるのではないかとの不安におびえはじめている。

 真実を知ろうとする人々と内省への動き    ・・・      ・・・    「死者たちの日」などの動き

 ここに、二重うつしにのように2つのアメリカが立ち現れていた。CNNに代表される大メディアは、貿易センタービルの崩壊場面を幾度となく映し、当然のごとく「新しい戦争」(New War)を掲げ、ブッシュ大統領の国民の結束(United)の呼びかけを繰り返し流し続けた。ほんの少し前まで過半数割れしていた支持率が、一気に90~95%へ急上昇し、何の疑問を差し挟むことなく、アメリカの軍事行動が正当化された。まさしく、かつての日本の国民総動員態勢を彷彿させるような状況が目の前に出現した。戦時体制は、このようにしていとも簡単に作り出されるのだ。

 ここベイエアリアは、揺れ動く大海に浮かぶごく小さな孤島にすぎない。そして、同様の各地の反戦の声と動きを、大メディアは黙殺し、かき消した。ブッシュ政権の情報戦略は、かつて湾岸戦争を巧みに演出した父親同様に、今回も周到に仕組まれた。愛国的であるかないかを踏み絵にしたメディア統制を主軸にして、愛国心を煽り立てながら批判勢力の封じ込めにほぼ成功したのである。日本でも、米国の大メディアの情報がすべてを代表しているかの如く流され、何の疑問を差し挟むことなくアメリカのブッシュ政権に追随した。
 しかし、例えばオルタネット(http://www.alternet.org/ )など草の根市民団体は、テロ事件当初の高揚状態からしばらく過ぎて、平和・人権団体などNGOのウェッブサイトへのアクセス件数が急上昇し、大メディア情報への不信感を持つ人々や客観視しようとする動きが顕在化したと報じている。しかし、そうした動きは全米人口の1割ほどの人々にすぎず、多くの大衆は日々の生活に追われるなかでマスメディアの強い影響下にあると分析している。

 9月11日から、2ヵ月余りが過ぎた11月始め。当初のショックが去って、人々の心は少しずつ、内省と思索へと動き始めた。折から11月1ー2日はメキシコの祭礼「死者たちの日」である。現在、カリフォルニア州人口の3分の1は、ヒスパニックといわれる中南米を起源とする人々。この祭日もこの地にとけ込んでいるが、今年は特別のものとなった。人々は、自分の家族、先祖だけでなく、9月11日の犠牲者、そして歴史の中で不当に殺された人々、今現在殺されている人々に、思いをはせた。11月2日、カリフォルニア大学バークレー校では、地元の反戦グループがキャンパス内に祭壇をつくり、アフガニスタンをはじめアメリカの介入、侵攻、経済制裁によって殺された30数ヵ国の人々、原爆や収容によって殺された日本人、日系人、劣悪な労働条件で殺された移民労働者、国境を越えて入国したものの砂漠死んだ不法入国者たち、建国のはじめに虐殺されたインディアンなど、これまでアメリカによって殺されたすべての人々にささげた。

 中南米系の人々が多く住むサンフランシスコ、ミッション地区のラテノ文化センターでも、小学生のグループから、市民、アーティストなど多くの人々がそれぞれの祭壇をつくって飾り、踊り、パレードした。ここでも、9月11日の死者、アフガニスタンへの爆撃による死者に捧げる祭壇がいくつか作られた。入り口正面には、9月11日の死者に対する哀悼の念と戦争、差別と偏見による暴力に対する抗議が表明された。
 同じく11月はじめ、約1週間にわたって、アフガニスタン女性革命連合(RAWA)のメンバーが当地を訪れ、理解と支援を訴えた。女性の権利の確立、平和、自由、民主主義を要求するRAWAの運動は、タリバン政権下では完全に非合法で、活動家は生命の危険にさらされている。女性の人権をまったく認めないタリバン政権下で、RAWAは地下ネットワークを作って、学校、病院を運営し、生計のための仕事作り(絨毯など)をし、人々に食料を届けている。タリバン政権に対する批判のみならず、北部同盟も同類であることの旨が語られていた。(http://rawa.false.net/index.html)
 サンフランシスコほか5ヵ所開かれた集会は、どこも会場の収容人数を倍以上も上回る人々が押しかけ、入れなかった人々は長くとどまって会場を囲んだ。多くは反戦活動家というより真実が知りたいという市民たちであった。

 11月8日の夜、アフガンのこどもを守る会などが中心となって、爆撃で犠牲となった人々を悼むビジルが行われた。このような歴史と現在を反省し真実を知りたいという人々の心の動きに呼応して、この頃、新聞もアフガニスタンの人々の苦境を報道し始めていた。これに危機感をもったブッシュ大統領は、愛国的でないと批判の演説をし、いっそう報道規制を強化した。しかし、わたしたちの周辺のかぎりでは、多くの人々が、戦禍と「戦果」について、タリバン撤退後の人々の生活について、9月11日のテロ事件を讃えるオスマビンラデンのビデオについて、政府は嘘をいっているのではないかと疑い不審に思っている。

   多様性、融和と迫害の相克    ーーーーーーゆらぐアメリカネスと世界

 アメリカ社会。フロンティアを求めた多数の移民と入植、そして西部開拓の歴史は、一面ではユートピア・理想郷への輝かしい道筋として描き出せる反面、先住民の迫害・殺戮という悲劇と侵略の歴史としても描き出せる。多くの場合、移民・入植には、我が身に負った排除の陰と他者への排除性という二重性を帯びるとともに、その克服への課題がつきまとう。エスタブリシュメントとその他の人々、迫害と融和、多様性の相克と共存の歴史が、アメリカでも積み重ねられてきた。

 20世紀文明を体現してきたかに見えるアメリカ社会は、つねに移民を受け入れてきた多様性のるつぼ、ないしモザイク社会であり、そのダイナミックな振幅の大きさに特徴がある。古くは、植民地・奴隷制度の拡大と独立自営農民による自由・自治・民主主義の展開、そして奴隷解放から反差別・公民権運動、自然破壊と自然保全の確立、億万長者とハリウッド的世界の他方でヒッピィーに代表されるカウンターカルチャー(対抗文化)の形成、政治的には、共和党と民主党の2大勢力間での綱引き、いわゆる保守と革新の大きな揺れ動きがおきてきた。
 実のところ、移民・入植それ自体の動きは、人類史の根幹を成してきたものであり、きわめて普遍性を帯びたものである。いいかえれば、アメリカ社会はそれ自体で小宇宙を形成しうる性格をもっていたといってもよい。いわば独自の多様性を培養しながら、共通項としての物質的豊かさと大衆消費社会の実現を達成しつつ、市場経済を拡大させ、グローバルエコノミーの中枢として今日に至ったのだった。その世界は、表の世界である経済力の肥大化とともに、旧世界から引きずってきた軍事力という暴力装置によって補完されたものでもあった。

 ふり返れば、独立戦争や南北戦争などはあったものの、第1次大戦、第2次大戦を含めて、その国土がとりわけ米国本土それ自体が外から攻撃され甚大な被害を被る経験は、未経験のことだった。「アメリカは変わった」、その背後には「ボストン・グローブ」紙の元中東支局長がいうように、「9月11日をもって全世界はエルサレム化した」(アメリカ本土のベトナム戦場化といってもよい)ことへの表明でもあった。つまり中東、旧ユーゴ、イギリス、その他世界の多くの地域のただいまの現実である戦争の日常化、市民生活の戦争化、歴史家イマニュエル・ウォーラステインがいう「個人の安全性の崩壊」が、アメリカにも及びいたったことへの不安の表現でもあったのある。

 同時に、アメリカ的な価値(民主主義、自由、平等、愛、平和、多文化共存などなど)が、これまで資本と軍の圧倒的な力によって国境を守り、国境の外の国々や人々を踏み台にしてこそ成立しえたものであること、国境の外にはまったく価値体系の異なる世界が独自の論理をもって存在していることを潜在的に感じとっての表現でもあった。その異なる価値体系とは、劣等、途上、未開などというこれまでの自分たちの語彙ではくくれない体系であって、自分たちには理解も改変も吸収合体も不可能な体系であることを予感しての表現だったのである。小宇宙に穴があけられたのだ。

 すべての価値を自ら造り出し、普遍化し、普遍化しうるものとの自負がアメリカにはあった。だからこそ、テロ事件の首謀者を求めてアフガニスタンに攻撃をしかけた。同等のことを成しうるのは、かつての旧ソ連ぐらいであろう。表面的には、この承伏しがたい現実に対して一種の退行行動(軍事力の行使)に出ているのだが、誰もが自分たちを手本に励んでいるのではないということに、うすうす気づきはじめたといえる。このことを、戦争と平和問題の専門家でカリフォルニア大学バークレー校教授のマイケル・ナグラーは、「わたしたちは、自らのアメリカ的本質(アメリカネス)を撃たれたのだ」と表現している。

 戦争においてもはや国境は存在しないこと、そのことはアメリカと第2次大戦後の日本以外の多くの国にとってはとっくにそうだったことなのだが・・・。そして、逆に国境にしがみつくことの哀れさと悲哀に思いをよせて、人々の意識の底にあるものをみるとき、政府、マスコミが煽る国境内に閉ざされた旧態依然のナショナリズムは、時代錯誤どころかこっけいにさえ見える。平和と共存への模索を、いま動いているナショナリズムと軍事力に逆行させる方向ではない道を、世界はもとめている。ここアメリカの地でも、それを人々は探り当てようとしている。

 わたしたちは、国家という枠組みの中でその権力機構を制御する装置を、憲法という土台に縛り付け、法体系や三権分立の仕組みと、市民的自由の権利(人権)と警察力の制御のなかで、どうにかバランスをとる体制を築きあげてきた。しかし、軍事力という殺戮・暴力装置は、今なお治外法権的状態にある。アフガニスタン攻撃に見るように、それは国際的な制御の枠組みから簡単に逸脱し、戦国時代さながらの力の論理だけが横行する状況にある。しかもこの殺戮・暴力装置は、巨大な兵器産業として主要国の中核に位置し、対立と緊張が在るところに武器を送り込み、さらなる緊張と対立を醸成している。

 世界の武器輸出の半分をアメリカが占め、イギリス、ロシア、フランスがそれに続く。その武器で憎しみと暴力の連鎖が拡大され、紛争地帯の緊張が高まり、内戦や戦争が深刻化している。その悪循環の姿の一側面に、アメリカ社会の悩みそのもの、すなわち銃規制の問題が二重映し的にみえてくる。まさに不安と緊張と悲劇の連鎖、銃の保持数が増えるほど、事故・犯罪を含む銃による死傷者は増加しており、そして被害が出るだけまた銃の販売・購入量が増えている悪循環が進行している。悲しいことに、アメリカでは毎日2人の子どもが短銃で殺されている現実があるのだ。

 世界にアメリカネスが組み込まれ、アメリカネスが歪み、表層的には「21世紀の戦争」という奇形した緊張状態が続いている。歴史を後戻りさせるかのような力が日増しに強まっているが、その根底にはあらたな模索への胎動も、微小ではあるが確実に動き続けている。最後に、日本との連帯に関連した動きについて一言ふれておこう。

日本の女性議員のバークレー訪問と日・米・アジア・多民族の声

 11月17日、衆議院議員の東門美津子さんと北川れん子さんがベイエアリアを訪問し、ブッシュ大統領の軍事力行使に唯一反対した米国議会下院議員バーバラ・リーさんを訪ね、選挙区のオークランドで会談が行われた。両議員は、勇気ある一票を投じた彼女に日本の反戦の声を届けるとともに、その勇気に学び、ともに連帯して爆撃を止めたいとはるばる日本からやってきた熱い思いを伝えた。

 バーバラ・リーさんの「米軍爆撃と日本の参戦を日本人はどう見ているのか、反対運動はどういう状況か」との質問に、両議員から、日本にも米軍の爆撃に反対し、テロを生む原因の根絶を望む人々が少なからずあること、そして力強い運動が展開されていること、とくに憲法を守るという立場で、平和、軍縮、人権擁護の運動を一貫して進めてきた動きが語られ、英訳日本国憲法の冊子が手渡された。
 第九条を示されて読んだ彼女は、「すばらしい」と感嘆しつつ、「このような憲法がありながら、どうして日本は参戦できるのですか」と疑問の声をあげた。東門さんから、沖縄において生命と暮らしが危険にさらされている現状、軍縮・基地撤去の闘いの歴史が語られたが、職業軍人の子でありながら、長年、軍事費削減と福祉充実に努力してきたバーバラさんからつよい共感を得たのだった。

 彼女は、米国議会での意見表明において、反対理由として、暴力が新たな暴力を呼び、アメリカ国民を含む罪なき人々を犠牲にすること、大統領への全権依託は憲法に定められた議会の責任の放棄であることをあげ、いまこそベトナム戦争の歴史から学ぶべきであると述べている(坂本龍一監修『非戦』幻灯舎に議会演説が収録)。彼女が、軍事力行使に反対したのは、これが初めてではない。98年の上院議員初当選以来、クリントン政権のセルビア爆撃にただ1人反対し、イラク爆撃に反対した5人のうちの1人であった。2期目も80%を越える高い支持率で当選している。
 彼女の選挙区のオークランド、バークレーは、アジア系、アフリカ系、ラテン・アメリカ系の人々が多く住み、人種的多様性の豊かな町だ。また、草の根運動のメッカで、多くのNPOが人権を守る運動を展開している。彼女を支えているのはこのような人々である。

 バーバラ・リー議員との会談以外にも、両議員はバークレーの市会議員とも会談することができた。同市議会は、全米で唯一、アフガニスタン爆撃を可能な限り早く中止することを求める決議をあげ、軍事力行使に反対の意志を表した。両議員は、決議を提案したドナ・スプリング議員ほか賛成した5人の議員のうち4人と会うことができた。車椅子のドナ・スプリングさんは、世界に非暴力の解決を求める議員がいることを知って、たいへんうれしいと歓迎してくれた。ここでも、日本国憲法第9条が感嘆で迎えられ、「このようなすばらしい憲法があるのになぜ」と問いかえされた。両議員は、このほか、反核運動団体、日系アメリカ人・在米日本人の反戦ネットワークと交流し、地元のラジオ局のトーク番組2本に出演、地元新聞からもインタビューを受けるなどして、実り多い訪米を終えた。
(北川れん子のバーバラ・リー会見とバークレー訪問記:http://hccweb1.bai.ne.jp/renko/houbeiki.htm)

 3ヵ月後の12月7日、真珠湾攻撃から60周年の記念日。新聞各紙が真珠湾攻撃と9月11日テロ事件を結び付けて一面記事に仕立て、ブッシュ大統領が同趣旨の演説をするなかで、アジア系アメリカ市民と在米アジア人が、「真珠湾攻撃記念日を”汚名”の日ではなく、”平和”の日に」と連帯して行動を起こした。百名をこえる人々が、サンフランシスコのフィリピン総領事館、日本総領事館前で集会とデモを行った。
 日本総領事館前では、戦後から一貫して市民権運動を闘ってきた日系アメリカ人のユリ・コチヤマさん、「ノーセイの会」(二世、三世を超えたという意味)の若い日系アメリカ人、移民の日系ペルー人、「韓国青年の会」のメンバー、フィリピン系アメリカ人の人権擁護活動家、若い在米日本人などが次々とマイクをとって、憲法を踏みにじってアメリカの対アフガニスタン戦争に協力する日本政府を批判した。「戦争に反対する日米ネットワーク」の渡辺真理子さんが、今城康雄領事に小泉首相あて抗議文を朗読、手渡すと、領事は首相に文書を渡すことを確約した。

 サンフランシスコの繁華街をゆく、アジア人の顔が中心のデモには、歩道から拍手や賛同の合図が送られ観光客もカメラを向けていた。国連プラザ前での総括集会では、アラブ系、プエルトリコ系、ラテン・アメリカ系のグループからも連帯のスピーチがあった。国家・民族の枠を超えた多民族社会ベイエアリアならでは平和共同行動が、ここでも展開されたのだった。
 かつてのベトナム反戦、公民権運動や女性解放運動も、草の根の自発的市民の多様な動きからスタートし発展した。真実をもとめ、矛盾を克服する手段を探り出そうとする人々の努力は、今日も続いている。

<<その他、参考サイト>>
・日系アメリカ人・在米日本人の反戦ネットワーク
http://www.jprn.org/japanese/project/shien/AntiWarprojectIndex.html
・バーバラ・リー国会演説、翻訳資料
http://www.jca.ax.apc.org/rekkyo/newfile2001/local-info02.htm
・「あなたの街をバークレーに」
http://homepage2.nifty.com/mekkie/peace/berkley.html
・UCバークレー反戦グループ
http://www.berkeleystopthewar.org/
・USA、NGOのニューメディア
http://www.indymedia.org/
http://www.bignoisefilms.com/

*以上のレポートは、季刊『ピープルズ・プラン』No.17(Winter,2002)、月刊『オルタ』2月号,2002、『社会運動』11-1月、2001-2002)、等に掲載されたものの改訂版です。
https://www2.kokugakuin.ac.jp/furu1/usa/am8.htm

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古沢広祐(Furusawa Koyu)
2020年3月國學院大學経済学部を定年退職いたしました。 1996年経済ネットワーキング学科開設とともに着任し、退官とともに学科も閉じられます。 これからは、一部客員教授での関わりとともに、継続中のNPO,NGO,研究会活動にて余生を送ります。