私たちは、なぜ他人を攻撃してしまうのかについて考える
以前、「信じるか信じないかはあなた次第です」という深夜番組がありました。例えば、「秘密結社が存在していて歴史上の事柄は彼らによる陰謀であった」等という陰謀論をこじつけのような話で紹介し、リアクションを楽しむという内容です。この類の情報を、エンタメとして楽しんでいらっしゃる方はいるのではないでしょうか?
しかし、このエンタメとしての線を越えてしまうと、陰謀論は危険な領域に踏み込むことになります。世界では陰謀論を盲信し、他人に対して物理的な攻撃に至る人々がおり、特に欧米では深刻な社会問題となりつつあります。
幸いなことに日本では、陰謀論は大きな社会問題にはなっておらず、まだ冒頭に述べたようにエンターテインメントでとどまっている印象です。しかし、日本では、私たちの身近に危険な陰謀論者が居ないとしても別の形で社会問題となっている「他人への攻撃」があります。それは、「いじめ」や「ハラスメント」です。
今回は、陰謀論者や日本のいじめ・ハラスメントなどの社会問題に共通する行為、「なぜ人は自分以外の他人を攻撃してしまうのか」について考察したいと思います。
陰謀論にハマってしまう人に共通する心理的特徴とは?
冒頭で触れたように近年、先進国では暴力的な「陰謀論者」の活動が目立つようになり、2022年にはドイツで国家転覆を狙ったクーデター計画までされ25人が逮捕されるという事件が起きました。そして、この事件の主要メンバーには社会的地位や高等教育を受けたはずの現役の軍人や特殊部隊出身者が含まれていたとして、世間を震撼させました。
このドイツのクーデターだけでなく、欧米では、陰謀論的信者による事件が多発するようになったことから、これら陰謀論者の「人格」や「精神病理」の相関が研究対象になっています。
その研究論文の一つが、「Looking under the tinfoil hat (2020)」です。発表当時、日本の一部メディアでも面白おかしく取り上げられていたのでご存じの方もいるのではないでしょうか。
ちなみに”tinfoil hat(ティンホイル・ハット)”とは、アルミホイルでできた帽子のことで、これを被ると「洗脳や電波攻撃から脳を守れる」と信じる人がいることから、陰謀論を信じる人や妄想癖のある人を揶揄する比喩として使われます。
話を研究結果に戻しますと、2020年に発表されたエモリー大学とメルボルン大学の共同研究結果によると、まだまだ研究サンプルが足りないとしながらも、「陰謀論信者」にはある傾向が見受けられたと報告されています。
陰謀論的思考に陥りやすい人は、「自己愛的」「衝動的」「孤立的」「不安的」「抑うつ的」な性格、あるいはこれらの特性の組み合わせを持つ傾向が発見されたとのことです。
そして、これらの特徴が複雑に相互に相関して「陰謀論」にハマってしまう確率を高めるのではないか、という風に結論付けています。
ちなみに論文では、陰謀論的思考に陥りやすい人の特徴と、特定の精神疾患の構成要素が近似しているため、『特定の疾患と陰謀論者の相関は確認していない』と誤解を生じさせないように丁寧に説明されています。
いずれにしても、陰謀論的思考に陥りやす人の脳内では、より強固に”信じたい事を信じるようになる”回路が強化されます。これが個人レベルにとどまっているうちは、社会への影響は比較的少ないでしょう。ですが、集団になると、いわゆる徒党を組むと「私たち」以外に対して物理的攻撃性が生じます。
なぜ、同じ陰謀論を信じる人々が集まると、なぜ暴力的、攻撃的になる傾向があるのでしょうか。次に、この攻撃性について取り上げてみたいと思います。
恐るべき”脳”のプログラム! 「私たち」以外は敵になる?!
自分の頭で考えることが大事だとよく言われますが、実際のところ個人が収集・処理できる情報量は世間にあふれる情報量と比べると知れていますし、個人の判断能力にも限界があります。
人間の「認知」は、ある事象について、考えるのに必要な知識や材料を収集するという特徴があります。 そして、特に認知のゆがみ(特に確証性バイアス)」が強化されている人ほど、自分の信じたい”特別な情報”を探し、見つけては安心し、そして、『そうに違いない!』と信じる傾向があります。
陰謀論を信じる心理的特性には、閉鎖志向型で新しい知識に対してオープンではない、または孤独感と社会的協調性の低さを感じる人々が含まれます。
特に、エモリー大学とメルボルン大学の共同研究結果から導き出された陰謀論的思考(「自己愛的」「衝動的」「孤立的」「不安的」「抑うつ的」)傾向にある人には、陰謀論によって提供される「特別な情報」はとりわけ魅力的に映ってしまうようです。
そして、彼ら「陰謀論」信者たちが集合体になると、内向きの承認エネルギーにより絆が強固になり、一定の飽和点を迎えると外部を敵視&攻撃し始めるというパターンをたどります。
この、外部を敵視し攻撃に走るという行為は、私たちホモ・サピエンスが進化の過程で「私たち(内集団)とそれ以外(外集団)」と区分するように脳のプログラムを強化してきた影響が色濃く反映されています。
というのも、私たち人類は、内集団のメンバーと協力し、外集団と競争することで、生存の可能性を高め、生きるための資源を確保する必要がありました。そのため、外集団に対する警戒心や攻撃性は、内集団の安全を確保し、資源を奪われないための防衛手段として発達したのです。
ちなみに、私たちホモ・サピエンスの内集団(自らが所属する集団)が持つ外集団に対する攻撃性がなぜ、どのようにして生じるのか、特にその最も根本的な心理メカニズムについてはほとんど明らかにされていないとのこと。この点に興味がある方は、下のリンクから高知工科大学のレポートを読んでみてください。
と、ここまでは、「陰謀論者」の心理からホモ・サピエンスの脳が持つ攻撃性につながる要因について述べてきました。ですが、もう少し身近な話題、「いじめ」や「ハラスメント」から紐解く私たち人類が持つ脳の特徴について考察したいと思います。
私たちが心が許せる”仲間”の上限は150人説
先に内集団と外集団の話で、集団と攻撃性について触れましたが、この話題を少し続けると、この集団を築く力と攻撃性が、私たち人類”ホモ・サピエンス”の繁栄につながっているという研究があります。
この集団を築く力ですが、「ダンバー数」という考えで説明されることがあります。ダンバー数とは、私たち人類が安定した社会関係を維持できるとされる人数の上限を指す概念です。友人は150人が限界、という説を聞いたことはありませんか?
この数は、イギリスの人類学者ロビン・ダンバーによって提案され、私たち人類の脳の処理能力と社会的な関係の数との間に相関関係があるとされた考えです。ダンバーによると、「人が円滑に安定して維持できる関係は150人150人程度である」といい、それを超えると個人関係を維持するのが難しくなるとのこと。この理論は、一部批判もありますが、人類学や進化心理学、統計学、企業経営など多岐にわたる分野で研究されています。
様々な研究から判明したことは、集団の攻撃性を抑えるカギは、ホモ・サピエンスが獲得した前頭連合野に起因するストッパーである「合理的理性」の作用が必要だということです。これは、平たく言うと「自制心」です。
こういったホモ・サピエンスの集団の攻撃性が、身近な問題として表出化しているのが学校や職場で発生する集団内における「いじめ」や「ハラスメント」です。
人間の攻撃性:進化の遺産が生む現代の課題「いじめ・ハラスメント」
私たちホモ・サピエンス、すなわち私たち現代人類は、集団を形成し、協力して生きる能力を進化の過程で発達・強化させてきました。
この「集団を築く力」は、私たちの祖先が繁栄するための重要な要素でした。
しかし、「集団が持つ攻撃性」もまた、進化の過程で生じた特徴です。集団による攻撃性は、外敵からの防衛や資源の獲得といった生存戦略として機能してきたと考えられますが、先に触れたように現代社会ではそのような攻撃性はしばしば「いじめ」や「ハラスメント」といった問題行動として現れます。
「いじめ」と「ハラスメント」は、どちらも他者を傷つける行為ですが、いくつかの点で違いがあります。ここでは、「いじめ」を例に、人が他者を攻撃してしまうメカニズムを心理学的・脳科学的に考えてみたいと思います。
「いじめ」の背景には、対人関係の不得手、表面的な友人関係、欲求不満耐性の欠如、思いやりの欠如など、多くの心理的要因が関与しているとされています。いじめの被害者は自尊感情が低く情緒不安定な特徴を有することが示されるなど、多くの問題行動の背景は複雑な構造になっていることがほとんどです。
興味深いことに、数々の研究によると、いじめる側といじめられる側、両者において自己肯定感の低さが共通して見られることがあります。
※興味がある方は、下記リンク「顕在的・潜在的自尊心がいじめに及ぼす影響 (川西舞ほか, 2014)」を読んでみてください。
https://koka.repo.nii.ac.jp/record/858/files/dt54_10_kawanishi.pdf
しかし、その表出の仕方は大きく異なります。いじめる側は、自身の内面的な不安や劣等感を隠すために、他者を見下したり攻撃したりすることで、一時的に自己肯定感を高めようとします。一方、いじめられる側は、自己肯定感が低いために、自分が攻撃されることを当然だと感じ、抵抗や助けを求めることができなくなってしまうことがあります。
このように、いじめる側といじめられる側は、自己肯定感の低さという共通の心理的要因を持ちながらも、その現れ方の違いが、加害者と被害者という異なる立場を生み出す可能性があるのです。
しかし、いじめは自己肯定感の低さだけで説明できるほど単純な問題ではありません。対人関係の不得手さや欲求不満耐性の欠如といった他の心理的要因、そして家庭環境や学校環境といった環境要因が複雑に絡み合い、いじめという問題行動を引き起こしています。
また、私たち人類は「いじめ」を止められない、逆に攻撃性を加速させるという脳の特徴を持っています。脳には、快感や満足感を感じるときに活性化する「報酬系」と呼ばれる神経回路があります。実は、いじめ行為もこの報酬系を刺激するのです。
誰かを攻撃したり、支配したりすることで得られる優越感や、仲間からの承認は、脳にとってご褒美になります。この快感が、いじめを繰り返す行動を強化してしまうのです。
※このメカニズムを知りたい方は、下記サイトで確認ください。一般的に愛情ホルモンと呼ばれるオキシトシンがもつ攻撃性や意欲や快感に関わるドーパミンと「いじめ」の関係について分かりやすく説明されています。
ただし、いじめは脳科学だけで説明できるものではなく、心理的、社会的、環境的な要因が複雑に絡み合っています。脳科学的働きを理解することは、いじめ問題の解決の一助となるかもしれませんが、根本的な解決には、多角的なアプローチが必要です。
いじめやハラスメントは、人類が進化の過程で獲得した攻撃性が、現代社会において歪んだ形で現れたものと言えるかもしれません。しかし、私たちにはこの状況を変える力があります。
脳の報酬系が攻撃性を助長するからといって、私たちがその奴隷になる必要はありません。脳は可塑性に富み、経験や学習によって変化する能力を持っています。つまり、私たちは意識的に行動を選択し、共感や思いやりを育むことで、攻撃的な衝動を抑制し、平和的な解決方法を模索することができるのです。
学校や職場、家庭、そして社会全体で、いじめやハラスメントを許さない文化を築くことが重要です。一人ひとりが、相手を尊重し、共感する心を育み、いじめやハラスメントの芽を摘み取ることが求められます。
また、被害を受けた人が安心して声を上げられる環境を整え、適切なサポートを提供することも不可欠です。被害者を孤立させず、寄り添い、共に解決策を見出すことで、いじめやハラスメントの連鎖を断ち切ることができます。
進化の遺産ともいえる私たち人類の「攻撃性」は、時に私たちを苦しめます。
しかし、私たちにはそれを乗り越え、より平和で共感に満ちた社会を築く力があります。一人ひとりが意識的に行動し、共に努力することで、いじめやハラスメントのない未来を創造していきましょう。
このnoteを切っ掛けに少しでも「いじめ・ハラスメント」が無い社会を考えるきっかけになれば幸いです。
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