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感情という波

更新が止まっていた10日間は、主に私の気持ちの整理をしていた。

この10日間、何度も何度も「ここを離れようかな」と思っていたのだ。でも今はそれも落ち着いてきた、だから言語化できるようになってきた、というわけだ。

自分を待ってあげること

気持ちの問題というのは、物理的な問題よりも遥かに時間がかかるものだと思う。

感情というのは一定しない、たとえ水面に月が映る水面のような平静であっても、ちょっとしたことで嵐の海のように荒くうねる大波が簡単に起こる。でもそれも、やがては寄せては返す波となり、やっと我を取り戻すのだと思う。そういうことを、何度も何度も繰り返すのが人生だと思う。

大波の時は、当然自分自身が不安定になるからとても不安になる。だけどそこで「待つ」ということがとても大切だと思っている。自分を信じて待つことが。

やり過ごすことの大切さ

感情が荒くれているときにこそ冷静になるべきだという人もいるだろうが、感情という波は押さえつければ押さえつけるほどに水面下で取り返しのつかない渦となる場合もある。だから私は、できるだけ湧き起こる感情そのものを押さえつけないように心がけている。これは過去からの教訓。

「自分の思い違いに違いない」と勘違いしようとしたり、現実から目を背けたり、自暴自棄になって目の前を壊したって、自分を振り回している感情は落ち着かないのだから。

ゼロにはならない、それが正解

感情を押さえつけないといっても、なんだってダダ漏れにしていいわけではない。以前の私はここを勘違いしていて、今思えば手がつけられない大きな子供状態だったなと思う。いやはや、思い出すたびに恥ずかしい。でもその恥のおかげで今回は多少マシな形で一時的には乗り越えられたんじゃないかと思う。

実際のところ、10日間かけてようやくまともに片付いたような、でもまだグツグツと煮えるものがあるような気もする。ゼロにはならない、そう、ゼロにはならないものなんだ。だから今の感覚はとても正しいんだと思う。

「待つ」ことは、慈しむこと

人が生きている限り、感情の起伏はずっとずっとあり続ける。その波は自分にとって心地よいものばかりではなくて、時には耐え難い不愉快さや失望、悲しみのことだってある。ただ、今の自分は深く傷つき悲しんでいるんだと、慈しみの心で待つしかないことだってある。

これができるようになったら、人にもそうできるんじゃないかと思う。待つことができたら、人生は随分と変わるように思う。

やるべきことはいつも同じ

先にも書いた通り、気持ちの問題というのは物理的な問題よりも時間がかかるものだと思うから、とにかく今は芯となる大切な部分だけをぶらさずに、毎日一生懸命に目の前のことに取り組んで行くのみ。

頑張れることがあるというのは、とてもありがたいことだ。
いろんな形で励ましてくださった皆さん、本当にありがとう。

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