人は、変わらなくっていい。元に戻ればいい。それだけ。

こちらの記事、どうにもうまく書きたいことが書けていない気がするので、書き直す。

はじめに(氷川きよしを想う)

いつの頃だったか、氷川きよしを見るたびにグッとくるようになった。私ときよしは同い年なのである。むしろ共通点はそこだけなのだが、ふと彼の人生を思う瞬間があったのだ。

彼はデビューから王子様であった。歌もよく売れた。でも、歌番組に出ている彼はいつだって同じ笑顔で、同じテンションで、ファンの呼びかけに応えていた。その頃の私は「スターはすごいな、お金持ちなんだろうな、いいな」と思っていた。

でも、40歳を前にしてふと「彼は誰かが望む“氷川きよし“であり続けるために、とてもたくさんの我慢しているのではないか」と思ったのだ。だって、人は常に変わらずにいることなんてできないから。少なくとも私は20年変わらずいることはできなかったもの。

そう思ってから、氷川きよしを見るたびに「本当の姿はどこにあるんだろう」「ファンの期待に応えるために、何をどれだけ諦めたり譲ったりしてきたんだろう」と考えるようになり、姿を見るたびにグッとくるようになったのだ。

翻って私はどうだ、と

そんなこんなで、自分のことを考えた。少なくとも多少は人の期待に応えようとしたこともあった。でも自分を押し殺してまで貫くことができず、応えきれずに自分に失望し、プッツリと関係を断つことが何度もあった。どうしても自分を優先してしまうのだ。だから私は、人気や人望が欲しいと思いつつも、それとはかけ離れたところにいる気がした。

そう気づいて、周りの人を観察した。そしたらどうだ、夫はまさに「他者の期待に応えるタイプ」ではないか。だから彼を観察することで、「他者の期待に応える」とはどういうことかを理解しようと試みた。

その結果「他者の期待に応える」というのは、並々ならぬ観察力で相手の望むものを察知し、自分の見栄とかエゴ、どう見られるかなんて思いを捨てて、それに「なる」という意思と努力が必要なのだと理解した。すごい、すごすぎる。

私には、全くない視点と行動だった。

やっていないことを、やってみること

自分にないものを知ると、人は一度すごく落ち込むのではないかと思う。自分のダメさの理由の一つを見つけたような気がして。少なくとも私はそうだった。そして言い訳を始めた。私は私なんだから、できないことはできないって。

でも、夫に言われたことを思い出した。

やり尽くした気がしていても、成功してないなら「やっていないこと」がある。
それは今まで選ばなかったことだろう。

そうか、私がやっていないのはこれか。そう思った。だからやってみることにした。

現実の深さを知ること

実際に行動に移してわかったことがある。最初から上手くできないということだ。当たり前のことだけど、やってみると本当に嫌というほどよくわかる。同時に、今の自分の限界を突きつけられる。

でもそこで挫けたら今までと変わらない。だから何度でも挑戦することにした。そしたら徐々に見えてきたことがある。それは「今までの私は、この視点でものを見ていなかった」ということだ。

今まで見たことがなかった視点で世界を見ると、何もかもが新しく見えてくる。見慣れた平面的な日常が、何層も重なった現実から出来上がっていて、とても複雑で、歴史があって、意味があって、だから私程度の浅はかな小手先でどうにもならないものだと分かった。

だから、もし何かしたいと思うなら、本気でなりふり構わずやるぐらいの気持ちで取り組まないと、幾重にも積み重なった「時間」には勝てない、影響を与えることすらできないんだと思った。

ねえ、なんて大変で、なんてやりがいのあることなんだろう。そして日常って、なんて美しい人間の営みなんだろう。

人は、変わらなくっていい。元に戻ればいい。それだけ。

この記事を書きながら、冒頭の引用文のタイトルは「人は変わる、変えられる」だけど、改めて考えると違うねと思った。

そもそも、何のために変わるのかというと、今日より明日を、よりよく生きたいからだ。

そのためには変わらなければならないと、私は頑なに信じていた。でも違うんだね。

本当に手に入れたいものに向かって、真っ直ぐに手を伸ばせるようになることが、他人から見て「あの人変わったね」になるってことで、何も「変わらなきゃ」と思わなくてもいいのだ。

こんなシンプルなことに気づくのに、ずいぶん遠回りしたような気がする。でもそれもきっと、どこかで役に立つんだろう。そう思いつつ、2021年11月の月蝕を過ごしています。

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