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【物語】二人称の愛(上) :カウンセリング【Session15】

※この作品は電子書籍(Amazon Kindle)で販売している内容を修正して、再編集してお届けしています。

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2015年(平成27年)10月19日(Mon)

 十月も中旬を過ぎた週初。学のカウンセリングルームは何時ものようにクライエントの予約でびっしり埋まっていた。

 学はカウンセリングルームに訪れるクライエントに合わせて、自分のこころの流れを常に『中道(ちゅうどう)』に置いておくことをこころ掛けていたのだった。そして今日の19時から、じゅん子ママのお店に訪問カウンセリングに行く準備をして、『銀座クラブ マッド』へと向かったのだ。

倉田学:「こんばんは倉田です。じゅん子さんはいらっしゃいますか?」
若いホステス:「はい、ちょっとお待ちください」

 そこに身なりのしっかりとした、初老と思われるひとりの男性が通りかかり、学にこう言った。

初老の男性:「君、今日は何の日かわかるかい?」
倉田学:「いえ、月曜日しか」
初老の男性:「これだから若いのは困るんだよ」
倉田学:「何かの記念日でしょうか?」
初老の男性:「僕わね昔、これでも証券会社に勤めていて、株を扱っていたんだよ」
倉田学:「はあ、そうですか」
初老の男性:「そう、それは28年前の月曜日の史上最大規模の株価大暴落。『ブラックマンデー(1987年10月19日 月曜日)』。忘れもしない『暗黒の月曜日』とも言う」

初老の男性:「わたし達は、歴史からいろいろと学ばなければならない」
倉田学:「聞いたことあります。確かニューヨーク株式市場の株価大暴落で、世界経済に混乱を巻き起こした出来事ですよね」
初老の男性:「若いの、少しは経済を勉強しているようだな」
倉田学:「僕は哲学と心理学を勉強しました。哲学は全ての学問の祖だと思っています。哲学は全ての事象を大局的に判断します。そして、僕は古代ギリシア哲学から現代哲学、またインド哲学や中国哲学、諸子百家などを学生時代に勉強しました」
初老の男性:「ほおぉー、そうかそうか。君みたいに歴史をちゃんと皆んなが勉強すれば、これからの日本、いや世界について真剣に向き合うと思うのだが・・・」
倉田学:「僕は少しだけ他のひとより気づくのが早かっただけで、特別なことではないです。ただ僕は心理カウンセラーなので、一人ひとりを幸せにできれば、幸せに気づいたひとが同じように他のひとを幸せにして、その連続が世界を幸せにできると信じているだけです」
初老の男性:「今どきの若いひとにしては『珍しいタイプ』だな、君は・・・」
倉田学:「良く、変わり者って言われるんですよ、僕」
初老の男性:「君は純粋なひとなんだね。昔は君みたいなひとも多かったんだが・・・」

 こうして通りかかった初老の男性と会話を交わし、しばらくするとじゅん子ママが現れたのだ。

じゅん子ママ:「ごめんなさい倉田さん。お待たせしてしまって」
倉田学:「いえいえ。待っている間、おじさんと話していたので大丈夫ですよ」
じゅん子ママ:「あら、さっきいたお客さまね」
倉田学:「はい」
じゅん子ママ:「どんなお話していたの?」
倉田学:「いやぁー、28年前の今日が『ブラックマンデー』だったと言うことです」
じゅん子ママ:「そうかぁ、あのお客さま昔からの常連さんで、わたしがこの業界に入った当初からの大切なお客さまなのよ。あの方にはいろいろ助けられたし、また苦労もされたみたいよ」

じゅん子ママ:「その当時、銀座界隈も少なからず影響を受け店をたたむところもあったし、わたし達の世界って日本経済の影響をすごく受けるから・・・」
倉田学:「そうなんですか。僕には良くわからないけど・・・。自分が幸せになるには他の誰かを幸せにすることだと思うんです」
じゅん子ママ:「倉田さんが心理カウンセラーになったのは、そのせいかしら?」
倉田学:「僕ですか・・・。僕にも良くわかりません。だけど自分が幸せになりたくて、心理カウンセラーになったのかも」
じゅん子ママ:「倉田さん、わたしがこのお店を出す時に彼から送って貰った唄があるのよ。わたし、この唄を聴くとあの当時を思い出すの」

 そう言ってじゅん子ママは、中島みゆきの『世情』の曲をお店に流した。そしてこう言った。

じゅん子ママ:「この唄はね。あのお客さまが好きな曲で、わたしのお店の唄でもあるの。この唄を聴くと昔を思い出し、大切なものが何か思い出すことができるの」
倉田学:「僕はあまり音楽を聴かないけど・・・。昔から大切にしているものってあると思うんです。変わって行くもの、大切に残すべきもの。時代は変わっても掛け替えのないものがあると僕は思うんです」

 そう学が言うと、じゅん子ママは少し遠くを見つめ寂しそうな表情を浮かべたのだ。そして学を見てこう言った。

じゅん子ママ:「倉田さん、今日も宜しくお願いします」
倉田学:「こちらこそ、では早速始めますか」

 こうして学とじゅん子ママとのカウンセリングが始まったのだ。カウンセリングは前回と同様に地下鉄サリン事件(オーム真理教)の頃にタイムスリップして貰い、その当時の辛い経験を克服して行くと言うものだった。じゅん子ママは当時の辛い経験を徐々にではあるが受け入れ乗り越えようとしていったのだ。

 そしてその様子を観ていた学は、彼女が真剣に自分の辛い経験と向き合い生きると言う人間本来の力強い生命力を感じたのだった。それはじゅん子ママが普段ひとには見せない、自分の苦しさ悲しさといった複雑な顔を伺うことが出来たからだ。こうして学とじゅん子ママのカウンセリングが終わったのであった。そして次回の予約を10月31日(土)の19時から入れたのだった。学がじゅん子ママの店を出ようとした時、さっき会った初老の男性から再び声を掛けられたのだ。

初老の男性:「そう言えば君、大切なことを言い忘れたよ。今日は僕の誕生日じゃ!」
倉田学:「はあぁ、そうですか。おめでとう御座います」
初老の男性:「そしてな、わしが生まれた59年前の今日。何があったかわかるかな?」
倉田学:「すいません。僕にはわからないのですが・・・」
初老の男性:「君でもわからないか。教えてあげよう『日ソ共同宣言』じゃよ!」
倉田学:「どういう内容なんですか。その『日ソ共同宣言』とは?」
初老の男性:「そうじゃな、簡単に言うと日本と旧ソ連の国交回復と関係の正常化を取り交わした日じゃ!」
倉田学:「でも、『北方領土問題』があるじゃないですか?」
初老の男性:「若いの、政治と言うものはそう言うものじゃ! わしが死ぬまで、この問題は墓場まで持って行くことになるじゃろうな」
倉田学:「僕たちはどうしたらいんですか?」
初老の男性:「確か君は、哲学を勉強していたな。君たち若いひとが考える番じゃ! わたしは年を取りすぎた」
倉田学:「僕ひとりでは無理です。そんな力はありません」
初老の男性:「そうだ、また来年の今日この店で飲んでいる。それまでに考えておいてくれ!」
倉田学:「・・・・・・」

 こうして学は初老の男性と別れて店を出たのだった。学は今の日本のことを考えた。僕が生まれたこの日本に自分は何ができるのだろう。そして僕たちが、日本の将来をもっと考えて行かなければ・・・。そんなことを考えながら、学は新宿にある自分のカウンセリングルームへと向かったのであった。


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