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執筆活動の目的 《その弐 》

 執筆活動の一つとして、自分の考えを伝えたい。また自分と言うものを作品を通して知って貰いたいと言うのがある。

 僕は正直、今まで作品と呼ばれる文芸作品を殆ど読んで来なかった。専門書や参考書など、知識を広げる啓発本などが中心で、文学と言う作品に関して言えば、読むのが苦手な方である。

 その理由として、感情移入する作品に出会っていなかったからだと思う。僕自身、作品を書く側になって思うのは、読者に作品を通して“何を置いて来るか”と言う事だと思っている。

 専門書、参考書、啓発本などと言ったスキル本は、読者の頭に“知識”を置いて来る(植え付ける)作業だと思うが、文学と言う文芸作品は、読者の心に“世界観”と表現される心象や感情と言った情景を置いて来る(残して来る)作業になるのではないだろうか。

 ひとくくりに作家と言っても、作品と呼ばれる文芸作家(小説・物語・童話・絵本など)と、それ以外の作家(専門書、参考書、知識啓発、スキル本など)では、読者に置いて来るものが全く違う。

 作品と呼ばれる文芸には、書き方の暗黙のルールがあったり、出版社側もそのルールに従い編集作業を行なっている。だから作品を書く著者(書き手)は、文芸作品の書き方のルールに従って書かなければ、編集者から相手にして貰えない。

 たとえ内容が良くても、編集者からダメ出しされ、著者(書き手)は書き直しを迫られる。編集者が手取り足取り指導し、直してなんかくれない。内容の前に、先ず文章の完成度が求められるからだ。

 では、著者(書き手)として文章に携わる仕事をしている方達は、どう言った人達だろう。殆どの書き手は、ライターと呼ばれる物事の“知識や情報”を文章に纏め、読者に置いて来る(植え付ける)作業を行う人達だと思う。つまり、“情報の鮮度”が非常に問われる著者(書き手)の方達と言っても良いのかも知れない。

 それに比べ文芸作品はどうだろうか。著者(書き手)の“思想や妄想”から話が創られるケースが多い。本来は出さなくても良い自分の“思想や妄想”を、時にはオブラートに包みながら出して行ったりする。

 その思想が、“正しいか、正しくないか”で、文章を綴るのではない。答えを読者に委ねる作業をするのだ。作家自身の中に答えがあったとしても、読者に問いただす。

 僕は出版社側の人間ではないので良くわからないが、出版社の人達は往々にして、「良い作品を求めている」と言う。

 啓発本やスキル本などは、知名度のある著者(書き手)の所に依頼が行くケースが多い。当然と言えば当然だが、知名度の高いひとには、その人物にファンが既に付いている。だから、その人物の書いた本であれば、興味のあるファンが買ってくれる可能性が高いからだ。

 では文芸作品はどうだろうか。僕も原稿の持ち込みを出版社にした事がある。基本的に殆どの出版社では、原稿の持ち込みを受け付けていない。新人が本を出版したいなら、各出版社の新人賞を受賞するか、もしくは自費出版を勧められる。とてもハードルの高い世界である事には間違いない。

 それでも執筆活動を続け、出版にこだわる理由については、次回に書こうと思う。

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