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おもしろい授業のつくりかた

子どもたちは「表現すること」が大好きだ。

それさえわかっていれば「おもしろい授業」を構成するのは簡単だ。
ここでいう「おもしろい授業」とは教師がギャグをとばすような面白い授業ではない。

子どもたちが「もっとやりたい」「もっと続けたい」と思える授業だ。

「表現することが大好き」
その言葉をまじめに捉えた教師は子どもたちを挙手指名して話をさせようとする。
しかし、それは実は逆効果だ。
だって、一人が話をして「表現している」間、周りのその他大勢は「表現できない」時間となるからだ。

その矛盾に気づいた時、僕は子どもたちの発言で構成する授業を捨てた。
全員がいっぺんに「表現者」になれる授業。
それは「書く」授業だ。

僕の授業はよく「外堀を埋める授業」と例えられることがある。
多くの先生が、しっかり教えて、しっかりと練習して内堀を埋めてから表現させるアプローチとまったく逆だ。
具体的に言えば

「とりあえず書いてごらん」

ということだ。
30人いれば数名は表現できる子がいる。
その子の表現を写真にとってテレビに写す。
そして

「この子のこの考え、おもしろいと思わない?」
「この子のこの表し方、なるほどって感じない?」

そういいながら、小さなおもしろさを掘り起こしていく。
僕がおもしろがっているうちに、数名の表現がつながりあってまたおもしろいものが生まれる。

とりあえず表現してみる。
その中でおもしろさで教室を満たしていく。
それが「外堀を埋める」という感覚だ。

僕が授業でやっていることは
「おもしろがっていること」だけだ。

僕に決められた表現なんていらない。
僕とそっくりの表現なんていらない。

僕の予想を超えるものが生まれるのをおもしろがる。
すると、それを見た子どもたちも一緒におもしろがってくれる。

「この子たちはどうしてこんなに書けるんですか?」

そんなことをよく聞かれるが答えは簡単だ。
僕と子どもたちがいろんな表現をおもしろがれるからだ。

うまいもの、きれいなもの、見慣れたもの
こういうものにはおもしろさを感じない。

荒削りで、危なっかしくて、冒険心にあふれているような表現。
こういうものがなによりも好きだ。

おもしろい授業をつくるためにはおもしろがることが大切だ。
肩の力を抜いて、子どもたちの表現にひたってみる。

そうすると見えてくるものがある。


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