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アメとムチ

「やっぱり『アメとムチ』だよな」

そんな話を耳にする。
でも僕は違うなぁと思う。
確かに『アメとムチ』で人を操ることはできる。
でも人を成長させることはできない。

僕が大切なものを2つあげるとしたらなんだろう。
きっと「愛と技術」をあげるんじゃないかな?

愛のない技術は危険です。
技術のない愛は無力です。

これを語ったのはアドラーだっただろうか。
ここまで本質をついている言葉はないなぁと感じる。

僕の中でさっきの『アメとムチ』はどちらも「技術(テクニック)」にすぎないと思う。
だからこれに頼り切るのは危険だ。
この技術の下に土台としての「愛」があるか?
そこが重要なのだ。

「結局『アメとムチ』だよな」

こう語る人に本当に「愛」はあるのだろうか?
自分の手のひらでころがして、あやつることが目的ならばそれでいいだろう。
でも、それでいいのかなぁと疑問に思う。

『アメとムチ」が必要ということは
『アメとムチ』がないと動かないということだ。
そんな子を育てたいのかな?

愛なき技術が危険だという意味がとてもよくわかる。

人は満たされていれば、満たそうとする。
一方満たされていなければ、奪おうとする。
そんなものだ。

『アメとムチ』は所詮技術だ。
これに頼り切っている人は、もっと本質を考えた方がいい。
アメとムチが消えていく。そんな関係になれないものだろうか。

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