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映画 | J・エドガー

アマプラで「J・エドガー」を観ていました。
観終わってから知ったのですがクリント・イーストウッド監督作品。フーバーという役柄をレオナルド・デュカプリオさんがどのように演技されるのかな、と気になったもので。

20代から70代までを一人で演じ切っていて、特に感心したのは老人となってからのフーバー。身体の動かし方、老いると様々な動作をし難くなるとは、何となく想像はできるものの、自身がその動きを表現するとなると非常に難しいと思います。

レオナルドさんのフーバー、見事な表現力で観ていて、振りかざす正義に対し、卑屈なコンプレックスの塊で弱っちいし、嘘つくし、自身を大きく見せよう、見られていないと感じた瞬間、正義の鉄槌(フーバーにとっては、です)を下すところなど、腹立たしくてもうイライラしてしまいました。

ストーリーは現在、過去を行ったり来たりして、時折、迷ってしまいますが、それぞれの繋がりには意味があって、このシーンでは何でこんなことしてたのかなと引っかかっていた仕草は、クラマックスで回収されていて、ふむふむと、ひとりほくそ笑んだりしておりました(ただの自己満足)。

FBIという巨大組織を作り上げる過程でフーバーが尽力したこと、全部が自分勝手なことだったのではないのかな、とは思います。最初は自身が信じる「正義」に対し、愚直に日々もがいていたのかもしれません。母の異常とも思える溺愛、実は自分の存在意義・愛する者は普通でないと自覚していて恐る恐る母へ伝えるのですが、真っ向否定!しおしおしてしまって母が亡くなるまで、好きには生きられず、そんな鬱屈した気持ちを抱えつつ、強大な権力を手に入れてしまい、そこに至る過程で少しづつ感覚がずれていく姿は腹立たしくも、哀れでした。

本作をみていて私も時には誇張したり、嘘をついたり、間違ってしまって後悔しているけど今更撤回できないしー。なんてこと、大きな声では言えないけどあちらこちらに心当たりがあるもので、観ていて腹を立てたり、嫌悪感を抱いたりしていましたが、段々あれれ、自分もそんなに大差ないんじゃないかー。と感じたりしておりました…。

レビューサイトなど拝見していると、残念ながら否定的なコメントも散見されたのですが、私は本作、好きです。この何とも表現し難いモヤモヤ感、自覚のないコンプレックスを刺激されているようで、よき反面教師を得たように思いますー。

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