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”ふつう”ってなんだろう。

自分のことを”ひきこもり””ニート”だという若者と話をしていると、”ふつう”って何だと考えさせられる。若者は、ボクと過ごす時間の中で、自分のことを少しずつ少しずつ話してくれる。

大学受験に失敗したこと、不登校だったこと、働くことへの不安、そもそも働きたくない、人と関わりたくないなど、そんなことをポツリポツリと聞かせてくれる。

ボクは話を聞いていて(すこし上から目線になってしまうのかな、そんなつもりはないんだけど)「”ふつう”に囚われている」なって思う。

ただ、もちろん、僕たち誰だって”ふつう”に囚われている。住んでいる場所、働いているところ、家族、育ってきた環境、様々なものが持っている”ふつう”に囚われている。

自分のことを引きこもりやニートという若者とボクらの違いは、社会からある言葉でカテゴライズされているかいないかだけだと思う。もしくは、社会がなんとかしたい、少しでもふつうに近づくようにと支援したい対象としているかどうかだ。

でもね、若者が言う大学を出ているかどうか、就職をしているかどうか、いまバイトしかしていない、親と一緒に住んでいるなんて、どうでもいい。どうでもいいっていうのは、そんなものは環境が変われば、例えば一緒にいる人が変われば簡単に、どうでもいいものになってしまう。

ボクは少なからずそういう経験をしてきた。転職した後で、なんであんなどうでもいいことに囚われていたんだと気づかされることが何度もあった。

中小企業のバリバリ体育会系のノリ、残業して、休日出勤して、家族よりも会社を優先すること、今なら「ほんと、どうでもいい」と言えるけど、その場にいるときは、苦しいけどそこで自分が頑張れば、その苦しさは減っていくんだと思っていた。そこから離れて環境を変えないと、どうにもならないことはあった。

だから思う

あなたを苦しめる”ふつう”を作る集団を変えてしまえばいい。そして、そこで心地よく生きればいい。

いまの社会一般における”ふつう”としているものからのズレが大きいかどうかは、正直どうでもいい。そんな抽象的な主語の大きいものに振り回されなくてもいい。それよりかは、身近な直接会うことのでき、話ができる関係を作り直していけばいいんじゃないかと思う。それが、難しいこともわかっている、でもそれしかないんじゃないかと思う。

僕らを取り囲んでいる環境は”ふつう”を作り出す、そしてそれから外れた時に、しんどさを感じさせる。

いままで、若者が出会ってきた人、家族にとってはそれが”ふつう”だ。でも、ボクにとっては全然普通じゃないし、どうでもいいことだっていうのは伝えたい。

そのことを、ボクが伝えること、もしくは一緒にいる中で感じてくれることを通じて、もしかしたボクが若者の接する社会のほんの一部になれ、若者が持っている”ふつう”を問い直すきっかけになればいいなと思う。

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3児(11歳、6歳、4歳)の親をしつつ、子ども・若者がほっとできる場づくりをしています。居場所づくりについて知ってほしい!