僕の独り言part17

こんにちわー。
ピアノを習い始めたのにコロナの影響で
レッスンが延期になってムズムズしている僕です。

今日は飽き性について書いていこうと思います。
結構飽き性の人っていると思うんですが、僕はかなりの飽き性です(笑)
自覚はありますが、もはや自分で感心してしまう程の飽き性です

飽き性は結構悪いイメージに偏りがちですが案外そうでもない。
というか、この時代において飽き性って重要じゃね?
とされています。(笑)

まぁ、そんな感じで飽き性について書いていきます。


僕の独り言17:僕の飽き性

幼少期の頃からうすうす飽き性に気づいていた僕ですが、
自覚したのはいつ頃だろうか。。。

はっきりとは覚えていないませんが、
今では確実に飽き性な性格だと自覚しています。
そもそも、飽き性とは何ぞや?って話になるかもなので
飽き性の定義についてお話しておきます。

楽しいと思っていたことがあっという間につまらなくなる


これが飽き性の定義になります。
満点であてはまる僕ですが、本当によくこの状況に出くわします。

熱しやすく冷めやすいとも言ったりしますが、
基本的には同じ意味として捉えられているでしょう。

客観的に 僕 を見るとまず特性として

楽しいことが人一倍好きなように思います。

自分が楽しい!好き!ってなったらもう最後。ぞっこんでいわゆる、
飽きがくるまでひたすらやり続けます。(周りが引く程)

そして、飽きる瞬間ですがここが一番重要でその瞬間とは

自分が何を手に入れたいか?何を見出したいか?進歩はしているのか?

これらを満たせなくなった瞬間に飽き性が発動してしまいます。
そして、飽きてしまったことにより

         飽き=好きではなくなった

と勘違いを起こしてしまうのです。

しかし、本当は飽きているのではなく伸び悩んでいるが正解じゃないかなと僕は思います。要は、壁にぶつかってどうにもならないときに
ここまでかと自分で勝手に線を引いてしまいがちということです。

僕は結構このパターンが多く、ある程度まで行き
壁にぶつかりもがいてダメだと今までの熱が一気に冷めてしまいます。

例えば、熱中している時に負けると死ぬほど悔しいのですが、
冷めた後に負けてもなんとも思わなくなります。(本当に無w)
結構、僕の場合差が酷く熱中している時に煽られたりすると
煽ってきた相手に対して殺す勢いでかかります。

だけど、冷めた後の場合どんなに煽られてもなんとも感じません。
むしろそんなに鼻息荒くしなくても、僕に勝てるじゃないの?
なんでそんなに必死に戦ってくれるのかな?と素朴な疑問すら覚えますw

ここまで話して、僕自身を客観的に見て勿体ないなってめちゃくちゃ思います。だって、周りが引くほどの熱量を出せるのに飽きが来てしまうと
波のように静かに引いてしまう。
どうにか目線を変えることが出来ればいい方向に変われるんじゃないかと思い調べました。

1番納得したのが、メンタリストのDaiGoさんの言葉。

「飽き性の人は、今まで幸福と思っていものをしている際、変化や違いに気づけないと幸福と感じていたものに慣れてしまい飽きる。」

「続かないからこそ違う見方とか新しい見方を試してそれで一生懸命続けようと努力をする。努力の先に、時代の変化についていき、最先端のイノベーションが起きるところにつながっていく。だから、飽き性の人の方が成功する時代に今はなっている。」

と言っていました。
見方を変える。僕的解釈で言えば、

壁にぶつかったときクリアすることに、注視するのではなく
あくまでもクリアするまでの過程に目を向ける。

僕は、強くなった後の妄想はよくしますが強くなる過程に
目を向ける力が弱かったと感じます。

人間誰しも強くなった後を考えがちだと思いますが。(笑)

しかし、
ワンピースのルフィだって、人知れず努力(過程)をして
ギア4を手に入れたことでしょう。

飽き性を超えるには過程を大事にして見方を変えることです。

ただここで、
僕の場合もうひとつ過程(努力)をする際に
越えなければいけない障壁があるのですが。。。

















                           では、また。 


 



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