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第1056号『「私の馬」を読んだ』

息子たちがまだ小さな頃、よくキャッチボールをして遊んだ。力も弱くあらぬ方向にボールを投げていたのが、徐々に上手くなり、そして、いつの間にか僕よりも速くなり、遠くへ投げることもできるようになった。

キャッチボールは、相手の技量や、背丈に応じて捕球しやすいように投げなければ続かない。とはいえ、投げたいように投げているだけだし、特に言葉を交わすこともない。それなのに気が付けば、なぜか相手のこと考えながら投げている。そして、投げ終わった後、なんだかホッコリと身体と心が温かくなる。それは、ほんの少し他人への思いを巡らし、コミュニケーションがとれたという薄っすらとした充実感を覚えるからだろう。ともあれ、キャッチボールを通して子供たちの成長を感じることのできる、ちょっと嬉しい時間でもあった。

さて、その倅が三年ぶりに書き上げた5作目の小説『私の馬』が、先週9月19日(木)に新潮社から発売された。これは、数年前に実際に起きた10億円にも及ぶ横領事件から着想を得た物語だ。この物語の主人公は、男にのめり込むこともせず、ギャンブルもやらず、質素なアパートにひとりで住みながら、横領した金を惜しみなく“馬”に注ぎ込んだ。なぜ女はそれほどまでに“馬”にのめり込んだのか。そして、その“馬”とのどんなコミュニケーションがあったのか。彼女の“馬”に対する思いとは何だったのか。“馬”との「言葉のない世界」にのめり込む女の様と、その終末に至る姿を描いている。

いま、”人と交わり、理解し合う”ための言葉が溢れていながら、僕たちは有史以来もっとも”わかりあえない”時代を生きている。スマートフォンで交わされる言葉は無限に増大しているのに、それとは真逆にコミュニケーションの実感はますます希薄なものになっている。”馬”との”言葉のない世界”にのめり込んでいく女を通して、これから僕たちは、どのように言葉と向き合っていけばよいのか。悲しくもおかしな物語がリズムよく紡がれている。”ドゥダッダ、ドゥダッダ、・・・”文中の何度もでてくるこの馬の蹄の音が頭に残る。

そして、この本を手にとってほしいもう1つの事柄がある。それは、装丁への拘りだ。装画はいま最も注目されている画家の井田幸昌氏の手によるもの。馬らしきものが描かれているのだが、その顔は描かれていない。それは、最も美しい馬の顔を読者に想像してほしいからだと、画家は語っている。さらに、本に巻かれた帯の色はエルメスオレンジ。これにもこだわりがあることが読後にわかるだろう。さらに、150ページ余りと比較的短めのページ数も疾走していく物語の展開と呼応したものである。本が売れない時代に、本を手にすることの意味と価値を考えて造本したのだと、作者から聞いた。ぜひ、手にとって読んでいただければ幸甚である。

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