見出し画像

接客業は、奥が深くておもしろい

 久しぶりに、接客について書いてみようと思う。しかし、随分とnoteをほったらかしてしまったものだ。実は、時々書いてはいたのだけど、途中までの下書きの状態でいくつか溜まっている。

 仕上げなかった理由はひとつで、昨年末あたりから仕事の内容がWebやリブランディング寄りになってきて、対面接客の仕事よりもそちらの比重が大きくなっていた。接客販売について書き連ねてきたこのアカウントで、トピックの方向を転換することに躊躇いがあったからだ。

 さらには、WebだろうとECだろうと対面だろうと、ブランドを売り込み買ってもらうという行為の横串でしっかりと同列であり、私にとってはどれも互いに延長線上なのだけど、世間はそこを分ける場合が多いから、その感覚を説明するのがもはやめんどくさかったし、そこを説いたところでいったい誰得(この言葉はもう古いのかな)なんだという自問自答もあった。

 そんなわけですっかり日が経ってしまったけれど、おかげさまで今日も元気に仕事をしています。

 前置きが済んだところで、タイトルの「接客業は奥が深くておもしろい」について書いていく。

 接客業をしていると少なからず、他人とのコミュニケーションの場面で「なるほどね!そういう心境だったのか!」と、お客様の心理に触れて妙に納得したり、自分と異なる感覚に驚きつつも学んだりすることがある。それで最近何故だかよく思い出すシーンがあって、今回はそれを書こうと思う。

 私が某シアトル系コーヒーチェーンで勤務していた頃のことで、もう10年以上は前なのだけど、あの場面は鮮明に蘇る。

 当時、ホスピタリティという言葉があちこちで使われ始めていた。このコーヒーチェーンではもともとそういう部分のサービスの提供を世界中の店舗で得意としていたこともあって、意識の向き方が特別強かったように思う。

 そんな折、「お客様に指示をして動いてもらうのはやめよう」というよく分からない空気になった時期があった。

 ことの発端は、手荷物の多いお客様がセルフサービスのテーブルを片付けようとしたときに、「そのままでけっこうですよ」と言って代わりに片付けた〇〇さんグッジョブ、みたいな事例だった。

 それが褒められたものだから、働く人たちはちょっと手が空いていれば、すぐに近くのお客様に「そのままで」と言う。セルフサービスなのに、不思議である。私はどちらかというとセルフサービスの店では自分で片付けたいし、その片付けを代わるかわりに次の別のお客様のためにやるべき仕事があると思っていたので、全然賛同できなかった。

 そして今も鮮明に蘇る場面というのを、次に書く。

 このコーヒーチェーンには、セルフサービスで冷蔵ケースから取ってレジに差し出し、注文をするフード類があるのだけど、それが時折厄介だった。自分で取って良いのかわからなかったり、メニュー表を先に見てしまうとすぐ横で選ばれるのを待っているフード商品類に目が行かなかったりして、普通にレジスタッフに申しつけるだけのお客様が必ずいるのだ。

 その日もある時それが起こった。しかしレジに入っていたスタッフは、「お好きなものをそちらからお取りください」とは言わず、カウンターからウエスタン扉を開けて出て、お客様の真横の冷蔵ケースから注文された商品を取ってカウンターに置いた。スタッフは終始笑顔だったけど、お客様の顔とその場の空気は固まった。

 私はこの場面が忘れられない。

 お客様は、言って欲しかったのだ。笑顔でわざわざ代わりに取ってくれるのではなくて、やり方を教えてくれたらよかったのだ。言えば済むことを言われもせず、自分の方が近かったにもかかわらず、店員にわざわざやらせてしまった罪悪感と、言ってもらえなかったことの衝撃は、そもそも注文の仕方が分からなかった自分へのバツの悪さを増大させる。

 このお客様はその瞬間から明らかにテンションが変わってしまい、テーブルに着いてからも晴れない表情で過ごしていて、次に席に目をやった時にはもういなかった。

 何でもかんでもやってあげるのが親切なサービスでは決してないと思う。お客様の自尊心を無視してまで、スタッフが自己満足のサービスを提供するのは本末転倒なのだ。目の前のお客様が望む、本当に居心地の良いサービスを考え、周りからどう見えようともその場その場で一対一の信頼関係をきっちりと結び、相手を尊重することが、大切ではないだろうか。

 私はセルフサービスの店では、自分で片付けたい。


読んでくださりありがとうございます。いただいたサポートは、個人ブログの運営費に使います。