英語を話す上で、日本人がやめたほうがいい考え方について、帰国子女が思うこと
日本人は、自分は英語がダメだ・・・と思う人があまりにも多いが、実はそんなことはない。
英語を母国語としない国々の中で、日本はかなり英語の勉強をマジメにするほう。
それでも、ペラペラしゃべる人がいないのは、とにかく、日本人のメンタリティゆえ。
英語を上手くなるのに、実に損するメンタルを持ち合わせている。
たとえば:
①「英語を話す人=勉強や仕事がバリバリこなせる、デキる人」というイメージから抜け出そう
自分はそんなに、デキる人でないのに・・・と自信のない日本人が多いため、デキる人ではない自分が話せるわけがない、という思い込み?
外国の人は、スーパー・ポジティブ。
だから、「こんにちは」「もしもし」が話せただけで、
「ニホンゴ、スコシ、ハナセマス!」
と言うワケ。
このオーバー・ポジティブなメンタリティをぜひもってほしい。
だから、とにかく自己主張が多い、自我が強い、自己完結型のハッピー人間が西洋人には多い(少なくとも、日本人より)。
でも、それでいいのだ。
所詮、自分の人生は、自分の人生であって、ハッピーであるかどうか、自分以外が決めるものでもない。
②自分の英語が外国人に伝わらないという状況を、知り合いに見られた!
見られたからってなによ?
自分の弱みを見せてしまったって?
じゃあ、「その自分の弱みを見た人」の弱みを逆に見つけてやる!
ぐらいの気合を持て!
それくらい、強気に出たら、あなたも英語上達まで、一歩前進。
③英語を話せても、、外国人と話すことがない?
え?英語ができても、話す話題がないって?
確かに、同じ日本人同士でも会話が進んでいないのを、よく見かける。
日本人は確かに会話を盛り上げるのが下手。
「その場を取りつくろって、会話する」という行為が、西洋人にはあまりない。
理由は、「取りつくろう」必要がある相手なら、その場を去るから。
だから逆に、会話しないといけない場合は、嫌いな相手でも、とことん会話をしてその場を盛り上げようとするのが、西洋人。
だから、西洋では、ブラック・ユーモアやジョークの文化が発達した。
日頃から、嫌いな相手に、チクッとすることを言ってやろう、一発グゥの音も出ないくらいガツンと言ってやろう、と思っていたら、そりゃあ、ブラック・ジョークの一つや二つ、考えつく。
アメリカだって、オーストラリアだって、もともとは他民族国家なわけだから、お互いの文化や国籍や背景が違うことなんて、日常茶飯事。そんな中、
「〇〇ちゃんて、△△だよね~」
「そうそう、ほんとよね~」→この共感するところで、実は共感できないというシチュエーションも多い。
だから、できるだけ異なる背景の人でも共感できるように、自分の気持ちや意見や感情を思いっきり相手に全力投球するのが、英語の文化。
全力投球してみて、相手にひびかなければ、それはそれで仕方がない。
私は、これを「言ってみよう、やってみよう、の文化」と呼ぶ。
つまり、「覆水盆に返らず」の精神がほとんど見られない。
もちろん↑の英語はあるけど、それは犯罪とか事件とか、かなりのエクストリームな事情でしかあまり適用されない。
このことわざ、日本人、普段でもよく使うよね。
それは、日本の文化を語る上で欠かせない「間」の取り方や、相手の感情を慮る(「おもんぱかる」)精神に大切なのだろうが、こういった微妙な感情の動きは、英語では見られない。
だから、そういったものを取り入れた話し方をする日本人が英語をしゃべろうとすると損することが多いのだ。
もちろん、そういう文化が大好きな「親日派」の英語スピーカーがまわりにもいる。
この「英語も日本語も話し、どちらの文化にも精通しているけど、日本の文化のほうをより好むアメリカ人」が、実は一番のクセモノなんだが。
この話は、また別の機会で。
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