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それでも本当にしたいことは学校に通うこと

フィリピン2日目です。
体感時間的には、もうカガヤンデオロに来て一週間以上経っているのではないかと錯覚するほど、濃密な時間を過ごさせて頂いています。
(初日のnoteはこちらからどうぞ。)

今日はなんと1日で4アポという弾丸スケジュールでした。
が、まさにCDOの教育現場、私立トップでいわゆる裕福な家庭の子どもが通う学校と民族差別を受けている生徒も通う学校とを、連続して見学できたことは非常に示唆に富んでいました。

私の心に一番突き刺さったのは、やはりバッジャオの家庭訪問です。
(バッジャオとはいわゆる差別の言葉で、バッジャオという民族に生まれたというだけで、就職が不利になったり周囲から不当な扱いを受けています)

バッジャオの子どもたちは、本当にただそこに産まれ落ちただけです。
放課後は生活用水や下水が垂れ流されているであろう川で泳いで遊び、ご飯も満足に食べることができません。

「それでも、本当にしたいことはハイスクールに通うこと」という言葉が、私は忘れられません。
学校に通いたくても、親を助けるために、ほとんどの子どもたちは働くそうです。

私が子どもの母親に
「日本人に何をしてほしい?どんな支援を受けられたら嬉しい?」
と質問したところ、真っ先に
「子どもが学校に通えるように助けてほしい」
という答えが返ってきました。
文字が読めない子どもがいて、とても学びたがっている、勉強したがっていると教えてくれました。

バッジャオの子どもたちは本当に純粋で、私が現地の言葉で
「ナギライコーナギラター、アコシダイゴ(はじめまして、私の名前は大悟です)」
というと、すぐに「ダイゴ、ダイゴ」と名前を覚えてくれました。
それが、どれほど嬉しかったか。
事前に前の日の夜に準備していた折り鶴をプレゼントすると、本当に無邪気な笑顔で喜んでくれたのも印象的でした。

私は何も、かわいそうな途上国の子ども、というストーリーを話したい訳ではありません。
ただ厳然たる事実として、学校に通いたくても生まれによって通えていない子どもたちが、確かにそこにはいました。

そしてフィリピンは想像をはるかに超えて、学歴社会であることも分かりました。
どこまでグレード(学年)を進めたか、大学に進学できたかによって、就職の選択肢は左右されてしまいますし、その後のあらゆる可能性が変わってしまいます。

親の経済格差が子の教育格差に繋がり、貧困が連鎖してしまうのは、フィリピンでも変わりませんでした。

フィリピンでもっと現場について学びたいという気持ちもありつつ、早く帰国して現状を寄付者さんとシェアしたいという気持ちもあります。
残された時間で一つでも多くの学びを日本に持ち帰り、e-Educationの支援の輪を広げる一助にしたいです。

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