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★166:>きっと「中間」にこそ本質がある。


今日は自身の備忘という意味合いが強く、
抽象的な方向に傾いてしまいました。


タイトルに掲げた言葉。

こういったニュアンスで、
「中間」を模索して本質を突いていく。

最近、
こうした営みにとても執着している
自分がいる。


普段お世話になっている
セミナーの収録音源を
最近リピートしていると、

「正解はこの中間にあるんです」

という言葉が
妙に耳に残って仕方ない日が続いていた。


「中間」
というと、

「折衷案」とか「妥協案」のような
若干ネガティブだったり、
譲歩したり
敗けているような意味にも取れる。


本来、
「頭抜けた成果」を残したければ、
極端な言葉、極端な行動、
時には逸脱した言動などを用いて、

平均値を脱していかなければならない。


人よりも優れた成果を出したい!
と口では言いながらも、

発している言葉、
やっている行動が
極端に振り切っていないとしたら、

「そりゃあ、
頭抜けた成果など出ないよな」
というのは
当たり前至極ではないだろうか?

(もちろん自戒を込めて)


だからこそ、
「妥協案」のような意味を
「中間」という言葉に
用いるつもりはない
のである。


ということを考え続けて、
ここ半年間、
売上目標到達まで
躍起になって働いてきた。

とにかく、
売上を上げるために、
稼働を増やす。

そのために
最初は月あたりの担当生徒様
(インストラクターの仕事)
を最初6人目標だったのを、

グイと10人に引き上げ、
その目標まで達するのに
殆ど時間がかからなかった。


しかし、
一気に稼働が上がり
しかもマンツーマンの
コンサル業のようなものなので、

お客様の
「未充足の潜在ニーズ」
を言語化するべくの
推察に使う認知能力のキャパシティが、
一気に枯渇してしまい、

何度も
「雑な対応」で
顧客満足度低下を引き起こしてしまった。


売上目標には近付いたが、
自身の充足感は長続きせず、

精神的な擦り切れ感が
サービスにも投影されてしまい、
いくつかの失敗を犯してしまった。

例えば
特に初心者のお客様からの
ピントがズレたご質問に対する対応など…


量を増やせば
質が低下し、

質を高めようとすれば、
量が減少する。

あっちの顧客に熱を入れれば、
こっちの顧客への熱が冷める。

どっちがよいのか
あっちがよいのか

むしろ思考停止して
テキトーになれば良いのか?


…という葛藤を繰り返して
到達した結論としては、

「徐々に慣れるしかない」
「徐々に鍛えるしかない」
「あっちとそっちの真ん中あたりに本質があるのでは?」という問いを立てる

といったことだ。


特に3つめ。
妥協するのでなく、
本質を掘り当てるための仮説検証として、
「中間」を突いていく

という考え方だ。


これは、
冒頭で書いた

「正解はこの中間にあるんです」

のフレーズが耳に引っかかり続けてたのが、

「あ、そういうことか!」
と、
引っかかって
ストンと肚に落ちたという感覚。


もちろん、
これが正しいのかどうかは分からない。


しかし、
今まで「中間」とか「中庸」「中道」
といった言葉について、

曖昧模糊に捉えていた理解が、
一気に
自分の言葉として解釈として
定まった感覚だった。


これは、今まで
両極端と思っていた概念から、
視点をずらした結果、

今まで見えていなかった
本質が見えた瞬間かもしれない。


これは、
ORで排他的に選択するのではなく、
ANDで掛け合わせる
といった考え方にも通じるだろう。

一見矛盾するような概念。
これらを繋ぎ合わせ掛け合わせるには、
その中間点の本質を突いていけばいい。


葛藤によるストレスや負荷は
それはそれで辛いが、

その負荷を振り切って
乗り越えた時の清々しさは、

筋トレ終えて
体力が戻った後に
「またやるか」と思える感覚に通じる。


仕事を通して、
こういった精神的な筋トレ
知的な筋トレ(と言う柄ではないのは承知だけど)
を繰り返せるのは、

頭抜けた成果を
出すために必要な
人生のトレーニングに違いない。


まだまだ
上を目指すし
本質を突いていく仕事に
邁進していくのみです!

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【今日のまとめ】
頭抜けた成果を出すには
極端な言動が必要である。

しかし、その過程で
その極端さが
形骸化しているのでは?
矛盾を抱えているのでは?
と疑い、

その中間点に
本質を模索して突いていく
というアプローチや姿勢が実は

頭抜けた成果を出すために
必要なトレーニング
なのかもしれない。

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(正味1,705文字)


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