★164:>ゲームにハマった少年がリアルに活路を見出すまで
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子供の頃の私は、
根っからの「インドア少年」であり、
生粋のゲーマーでした。
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小学2年の時分に
田舎の祖母から貰ったお小遣いで
ファミコン(古い!)を入手して以来、
ゲームにどっぷりハマり込み、
かの高橋名人の名言と同じく
「ゲームは1日1時間!」という
ルールを親から課せられていたものの、
小学6年になってからは、
密かに禁を破って
徹夜でハマっていたのを
親に見つかり、
しばらく没収される程。
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あとは、ドラクエだの
FFだの女神転生だの…
40時間以上かけてクリアし、
ラスボスよりも強い
敵キャラ攻略といった
「やり込み要素」にも精を出し、
そんなんで気付けば
大学で単位を
落として留年したし
(これは、今でも時々夢に出る!!汗)
あとは
三国志とか水滸伝もやりましたね。
その攻略本とか
「武将ファイル」といった書籍も
読みまくりました。
これで古代中国史が好きになり、
大学受験の世界史で
偏差値70キープできるようになったのは、
少し良かった点ですかね。
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思えば
今までの人生の3分の1は
ゲームの世界に
没頭していた気がします。
しかし、
今またゲームやってるのか?
と聞かれると、
全くやってないのです。
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なぜか?と言われると
「自分の人生の方がゲームよりも
100倍楽しいから」
に決まってるからです。
そして、これからも
100倍どころか
10,000倍以上
楽しくしていくつもりです。
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ゲームにハマっていた時期は、
どこか
心の中が「空虚」
だったんですね。
理由としては、
他者が作ったルール、他者が作った初期設定、
他者が作ったシステム、他者が作ったシナリオ、
他者が作った勝利(クリア)条件、
他者が作ったスコア基準…
全て
「他者が作ったもの」
に乗っかって
楽しんでいたからに
他ならないからです。
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そして、リアルな人生。
人生って、不自由だし不条理な
要素が満載だし、
状況によっては無理ゲーかもしれず、
初期設定(生まれ)も選べない。
そして自分が、他者と比べて
糞のように
矮小であることに気付いて
傷付いたりいじけてみたりもする。
人生の歩み方によっては、
とても無味乾燥で退屈でつまらない
状態になるかもしれず、
気晴らしでもしなければ
とてもやってらんない
状況かもしれない。
だからこそ、
リアルな人生から背を背けて
ゲームに没頭していたかもしれない。
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しかし
リアルな人生って、
不自由さや不条理さや退屈さの中にこそ、
実は楽しむ要素が
潜んでいるのかもしれず、
そこに楽しさを見い出すことができれば、
他人が作ったゲームよりも
何倍もスリリングで
ワクワクするのではないだろうか?
と。
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たしか、
「手を使えたらサッカーつまらないだろ?
使えないから楽しいんだ」
と、
斉藤ひとり氏は語っていた気がするが、
制約や不自由さ、ハンデや不利な状況、
貧困、才能の無さ、欠乏感、
そしてピンチな状況などが、
これじゃダメだ!
という危機感を
内面から湧き上がらせ、
理想の自分を掲げて
そこまで突っ走っていくゲームが
スタートしていくのではないだろうか?
と。
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だから、
「人生は夢だらけ」であり、
人生はゲームよりも面白く、
そしてゲームのように楽しめる。
そのゲームデザインは
我が身に委ねられていて、
一見無理ゲーで
ハードモードかもしれないが、
攻略していく過程に喜びを感じ、
他者でなく自分の人生を生き抜いて、
コロナコロナで騒がしい世の中を、
いま自分に出来ることを
淡々粛々とやり続け
輝く未来に備えていくのみ!
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少なくとも、
私はそうありたいと思って
「脱ゲーマー宣言」いや
「リアル人生ゲーマー宣言」
してしまっております。
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(今日のまとめ)
自分の人生の惨めさから目を背け、
他者の作った人生や
仮初めの世界に逃げるよりも、
その惨めな人生に
楽しさと喜びを見出すゲームに没頭できれば、
その惨めさが惨めである程、
心が震え上がり、勇気が湧き上がり、
自分の人生を
しっかりと歩み続けることが
できるのではないだろうか?
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(正味1,516文字)
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