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2で割って、ふたつ余る(小説)

@_sssaki 今日は大学時代のともだちと飲み会!久しぶりに会えるの楽しみ~♪

「早希ってさぁ、まだ二番目の女、やってるの?」
 酔っ払って顔を真っ赤にした住吉が、隣に座る早希に聞いた。そこまでプライベートな話題に踏み込むなよ、と俺は内心ひやひやする。
「そうそう、今付き合ってる人もね、本命の子が別にいるんだ〜」
 早希が平然と答えた。その口調から悲しみや後ろめたさは感じられず、かといって自虐ネタにしているわけでもなかった。心から「二番目の女でいること」の正しさを信じきっているのだ。

 ゼミの同期6人で久しぶりに集まる予定が、直前になって仕事の都合やら体調不良やらで3人来られなくなり、仕方なく俺と住吉、早希の3人で居酒屋のテーブルを囲むことになった。
 正直、俺はこのメンツで飲むのに乗り気ではなかった。住吉は酒に酔うと誰かれ構わず絡み始めるのが厄介だし、早希とはあまり会話をしたことがない。在学当時からすでに「早希は彼女持ちの男に次々と手を出している」という噂があったから、面倒ごとに巻き込まれないよう距離をとっていたのだ。対して親しくないのに名前呼びなのは、たまたまゼミの先輩に早希と同じ名字の人がいて、混同を避けるためだったのだが……、あれ、なんていう名字だったっけ。俺もずいぶん酔いが回ってきたのかもしれない。

 目の前では早希が「二番目の女でいること」が、いかに正しく賢明なことであるかをペラペラと喋っている。好きな人に期待して、何も手に入らないのは怖い。運良くその人にとっての一番になれたとしても、いつかその幸せが失われるんじゃないかと怯える日々を送らなければいけなくなる。それならいっそのこと、二番目になればいい。そうすれば期待がない代わりに絶望もなく、穏やかに日々を過ごせるのだ、ということらしい。
 住吉は早希の言葉に聞き入っているが、わざとらしく「ふむふむ」と相槌まで打っているので、まともに聞いているのか悪ノリなのかわかったもんじゃない。俺は2人のやりとりをうんざりした気分で聞き流しながら、テーブルの上に残された唐揚げや厚焼き玉子を口の中に放り込んでいった。

「二番目でいいって話、もうすぐ結婚の久保っちとしてはどう思う?」
「え」
 急に話を振られて面食らった。住吉め……。
「へぇ〜、久保くん、もうすぐ結婚するんだ! おめでとう」
 お祝いムードの声色でそう言う早希だが、目は笑っていない。
「いやまぁ、俺の場合はさ、今の彼女が初めて付き合った人だし、二番目がどうこうって話はよくわかんないから……」
「久保くん、初恋の人と結婚するの! いいなぁ〜」
 早希の声のトーンがどんどん冷たくなっていく。「いいなぁ〜」がうわべだけの言葉であることを隠そうとしていない。
「あれでしょ、久保っちの彼女って中学からの同級生なんでしょ?」
 住吉、話を広げるな。
「そうなんだ〜! え、どんな人? どうやって付き合ったの?」
 絶対興味ないだろ、と思いつつ、逃れられそうにも無いからしぶしぶ話す。

 依子と同じクラスになったのは中学2年生のとき。彼女のことを意識するようになったのは、美術の授業がきっかけだった。
「今日は、クラスメイトをデッサンしてみましょう。相手がどんな表情をしているか、どんな姿勢なのかを、よく観察して描いてください。じゃあ、2人組を作って」
 美術の先生がそう言ったのを合図に、わらわらと生徒たちは席を移動し、それぞれの友達の方へ駆け寄っていく。ペアが続々と組まれて、最後に余ったのが俺と依子だった。男子の人数も女子の人数も偶数なのに、なんで男女ひとりずつ余ったのだろう。とにかく、俺は依子の絵を、依子は俺の絵を描くことになった。
「ちょっと動かないでよ〜! ポーズ変わったら描けないじゃん!」
「え〜、全然似てない。俺、そんなところにホクロ無いし!」 
 周りの奴らはわいわいと楽しそうにしていたが、俺と依子はそれまでに会話を交わしたことがなかったから、ただ黙々と鉛筆を動かしていた。時々目が合うのが少し気恥ずかしかった。
 授業が半ばを過ぎるころには、騒がしかったクラスメイトも段々とデッサンを描くのに集中していき、話し声はほとんど聞こえなくなった。
 たしか梅雨の時期で、外からざーっという雨音だけが鳴っていた。

「それってさ」と早希が話を遮る。「ペア組むときに余ってたのが別の女子だったら、その子を好きになってたかも、って話?」
「は?」
 思いがけないことを言われて、呆気にとられた。
「お互い向かい合って絵を描くっていう状況がさぁ、思春期の2人にはドキドキするシチュエーションで、ときめいちゃいました〜、って話でしょ?」
「いや、そうじゃなくて、ただ最初に依子のことを意識し始めたきっかけってだけで……」
「本当に、依子ちゃんだったから好きになったの? 別にどの子とペア組んでもドキドキして、好きになってたんじゃないの〜? ねぇ、沙穂もそう思うでしょ?」
 いきなり同意を求められた住吉は苦笑いしながら、「いやぁ、どうかなぁ……」と応える。
 どんどん場の空気が悪くなっていて住吉には申し訳ないなと思いつつ、俺は早希への苛立ちを抑えられなくなっていた。
「……そんな過去にまで遡って、たらればの話しなくてもいいだろ」
「だってさぁ、実際そうじゃん? 他の子とペアになっても、絶対ドキドキしちゃって好きになってたでしょ。その相手がたまたま、依子ちゃんだったってだけで」
「そんなこと言い出したら、なんでも疑わなきゃいけなくなるだろ? そんなんだから、ずっと二番目の女に甘んじてるんだよ、お前は」
「え? なんでそんな話になるの」
「一番好きっていうのはさ、たらればなんか考えないってことだろ。相手をめちゃくちゃ信じるってことだろ。それをいちいちなんでも疑ってかかるから、誰のことも一番好きになれないし、誰かの一番にもなれないんだよ!」
 語気を荒げる俺を見て、早希はフッと鼻で笑う。
「『信じる』って素晴らしいことみたいに言うけどさぁ、それって相手について考えるのを途中で投げ出してるのと一緒だからね。『あなたのこと信じてる』っていうのは、不安とか恐怖から目を逸らしたい自分を良しとするための言い訳なんだよ。信じてることにすれば、相手のことを疑わなくて済むから。それってさ、二番目に好きな人と一緒にいれば、不安を感じなくて済むっていうのと、そんなに変わらないでしょ。不安を見ないようにするか最初から避けるかの違いはあるけど、自分が安心したいっていう意味では同じでしょ。久保くんは私の方がおかしいってことにしたいみたいだけど」
 早希の瞳が俺を見据えている。人間の瞳ってこんなに真っ黒だったろうか、と俺は思う。住吉は気まずそうに俯いている。沈黙が占めているテーブルに店員がおそるおそる近づいてきて、「すみません、そろそろ閉店なので、お会計を……」と言った。
 テーブルに三千円置いて「俺、店出る前にトイレ」と言って席を立つ。早希からも住吉からも、返事はない。
 
 トイレで少し吐く。早希に言われたことが、頭の中をぐにゃりぐにゃりとうごめいている。シチュエーションにときめいただけじゃないのか。相手が依子じゃなくてもよかったんじゃないか。早希からそう言われて、うっすらと「そうかもしれない」という考えが頭をよぎった。自分が腹立たしい。また吐き気が込み上げてくる。
 スマートフォンの通知音が鳴った。ポケットから取り出してみると、依子からLINEのメッセージが届いていた。

――今日、仕事が暇だったから落書きしてた~

 続けて、ノートだか書類だかの隅っこに鉛筆で描いたらしい、俺の似顔絵の画像が表示された。丸い鼻と垂れ目がデフォルメされている、コミカルなタッチの、俺の顔。

――やっぱり楽しい

――純太くん描くの

 そのメッセージを見て、想いだした。あの美術の授業のとき、依子は同じことを言った。まともに話したこともないクラスメイトと向かい合ってデッサンなんて、普通なら気まずくて居心地の悪いシチュエーションなのに、依子はなにやらにこやかな表情だった。そして外からの雨音にかき消されるかどうかという小さな声で、「楽しい」と言ったのだ。
「え、何?」と思わず聞き返す俺。
「あ、いや、楽しいなと思って。久保くん描くの」
「……なんで?」
「えっと、なんていうか、……描きごたえがある」
「……それ、悪口?」
「違う違う! ほら、あれだよ、味がある顔だね、っていう」
「なんだそれ」と言いながら、俺は妙におかしくなってきてへらへらと笑った。
 依子もへらへらと笑っていた。それがまた、なんとなくおかしく感じられて、二人して「楽しい」「楽しいね」と言い合った。
 あのときの依子の顔を、俺は鮮明に思い出す。

――帰り遅くなる?

 依子からのLINEに、漫画のキャラクターが「マッハで帰るよ~!」と叫んでいるスタンプで返した。

 トイレから出ると、住吉がレジで会計を済ませようとしているところだった。早希は外で待っているという。
 店を出ると、早希が壁によりかかってスマートフォンをいじっている。俯いているから、表情はよく見えない。
「……なぁ」と俺。
「何?」スマホ画面の光に照らされているはずなのに、早希の顔が見えない。
「……俺は依子が一番好きだし、依子のことを信じてるよ。……信じるっていうのはさぁ、たとえ裏切られようが、傷つこうが、悲しい終わりを迎えることになろうが、それでもいいんだって、それでもオーケーだ、構うもんかって思える、きっとそういうことなんだよ」
「あっそ。久保くんがそう思うんなら、それでいいんじゃない」
 早希は心底興味がなさそうに返事をして、俺の方を一瞥もせず、駅へ向かって歩きはじめた。


※今作は森田玲花さんがNovelJam2019で執筆した小説『許してよ、ダーリン』の二次創作です。


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