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意味の図画と言葉の工作、このふたつで僕は文章をつくる

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図画とはクリエイティブであり、工作とはエンジニアリングである。実用に資する公的に正しい文章は、伝達と行動を企図した徹底的な他者志向から生まれる。 文化人や知識人は世の言葉の乱れ… もっと読む
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2019年5月の記事一覧

なぜ文芸メディアじゃないWEBメディアで「文学」をするのか?──多数派じゃないと生きられないわたしたち

なぜ文芸メディアじゃないWEBメディアで「文学」をするのか?──多数派じゃないと生きられないわたしたち

 ライターを職業としてはじめてまだ日は浅いけれど、そのなかで痛感したことがある。それは、「WEBを主戦場とするライター」は文章そのものだけで業界を生き抜いているというひとがまずいないということだった。
 もちろん、文章のクオリティは技術だけじゃなく経験や感覚に裏付けられるところもあるけれど、ぼくが言いたいのはそういうことじゃない。書き手を効果的にキャラクター化するプロモーション力とか、そういう文章

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わかるのに時間がかかるから、わかるために書くんだという話。

わかるのに時間がかかるから、わかるために書くんだという話。

わたしは、わかるのに時間がかかる。

「わかる」の理解度や深度は人によってちがうし、わかりたいと思う範囲にもよるので他人と比べることはむずかしいのだけど、自分ではそう思う。

先日、書くことについて、「なぜ書くんですか」「どういうときに書くんですか」「どうやって書いていますか」などと聞かれて考えた。

わたしはもともと書くことを仕事にしていないので、取材をして書くとか、テーマに沿って書いた経験がほ

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ハウトゥメイクフィロソフィカルサンドイッチ(哲学的サンドイッチのつくりかた)

サンドイッチの作り方は簡単で基礎的だ。
しかし基礎はまた、非常に重要なのでもう一度おさらいしてみようと思う。

まず、サンドイッチとはなんだろうか。
普通はパンで何かしら食材を挟んだものをそのようにいう。パンとは小麦に水や酵母などをいれて、発酵させ焼いたものだ。また間にはさむ食材については、特に食べられるものであれば指定はないように思う。肉や魚、野菜、フルーツ、調味料など、さまざまな種類のサンドイ

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あえて使いたい漢字もある〜表記統一の是非

あえて使いたい漢字もある〜表記統一の是非

メディアには表記統一というものがあります。

昔は新聞での表記が基準になることが多く、『共同通信社記者ハンドブック』などは最もよく利用されるお手本です。

新聞は義務教育を受けた人なら誰でも読めることを基準にしているので、汎用性が高く、新聞以外のメディアでも基準にすることが多かったのです。

しかし、Webメディアは横組みのため、縦組みを前提とした従来の新聞の表記では読みづらくなることも多々ありま

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言葉は生ものである~誤読あれこれ

言葉は生ものである~誤読あれこれ

これは106回目。人のことなどとても言えた柄ではありません。が、面白い話だとは思うので、書いてみました。本当に言葉はナマモノですから、時代時代で読み方も、意味も変わってしまいます。本当はどういう読み方だった、どういう意味だったということはとても大事ですが、しかし・・・

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言葉は、生きものだから、時の流れによって、誤読が誤読ではなくなり、いつのまにか正しい読み方になっていくことがある。たと

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余白のある文章を書くための「名辞以前」

余白のある文章を書くための「名辞以前」

中原中也の詩をとぼとぼと読んでいた。そういえば、僕は、大学生の頃に『中原中也全詩集』を購入して、ベッドの上でうつ伏せになりながらよく読んでいた。黙読するときもあれば、たまに声に出して読んでみることもあったと思う。詩の良し悪しなんてわからないけど、詩の世界に触れることに大きな意義があった。

中原中也の詩を読んで、うとうとしだしたので部屋の明かりを消して眠ると、精神の貴族になったような気さえする。

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noteのススメ① -短い日記をかいてみよう-

noteのススメ① -短い日記をかいてみよう-

「人に楽しく読んでもらえる文章を書く」。

当たり前にできることのように思えて、意外とこれが、難しい。
そもそも、文章を書くこと自体が、思った以上に難しい。

たとえば、「100字前後の日記を書いてください」と言われて、どのくらいの人がとっさに書けるものなんでしょうか?

まず「テーマが思いつかない」という人がいるかもしれません。
あるいは「何から書き始めれば良いかわからない」という人もいるかも。

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キレる日本人

キレる日本人

これは、108回目。近年、突然キレる老人が多くなってきたということが、結構話題になってきています。長い人生経験を踏まえて、なおキレているようでは、寂しい限りですが、どうも老人だけではないようです。若年層にまでこのキレる日本人が多くなってきているといいます。これは由々しい事態です。どちらにしても、わたしは言葉の理解力(つまり、合理的思考)の低下が一番大きい理由だと思っています。

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言葉とい

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noteのネタの見つけ方

noteのネタの見つけ方

4月5日からnoteを始めて、ほぼ日で更新しています。

通勤の横須賀線車内で書いてますので、仕事はしてますよ。本当です。

このペースで更新していると「よくそんなに書くことありますね。どうやってネタを探しているんですか?」という質問をもらいます。

これ、大事なことだから言っておきますよ。

ネタは「探すもの」じゃなく「入ってくるもの」です。探しているうちは、あっという間にネタが枯れます。

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削るとは、尖ること

削るとは、尖ること

日本ではほぼ全員が小学校の頃に義務教育で加減乗除を習います。足し算、引き算、掛け算、割り算。で、最初に習うのは足し算で、次に習うのが引き算。

これは何も数字に限った話ではなくて、文章でも設計でもデザインでも料理でも同じなんです。最初に技術や知識の足し算、それができてからいらない所を見極めて取捨選択して削除する引き算、無駄を省くことが大切。

でもこれって、足し算よりも難しいんです。

文章の足し

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子供は「子ども」と、障害者は「障がい者」と書くべきなのか

子供は「子ども」と、障害者は「障がい者」と書くべきなのか

[大学の講義で、子供の「供」は供え物という意味が含まれていることから「子供」表記は不適切で、「子ども」と表記することが望ましいということを学んだ。]という旨のツイートを目にして、少し思ったことがあるのでまとめておこうと思います。

問題はそこじゃないまず、この「子供」表記問題について。私が認識しているのは、もともと複数を表す「共」から「供」に変化したという説。「子たち」という意味だ。それが定着

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タイトルが肝心

タイトルが肝心

タイトルにひかれたnoteを読むようにしている。

タイトルにひかれるって、なんだ。なんとなく、ピンとくるもの。

ライターをしていると、「タイトルのつけかた」みたいな話を聞く。Webの世界は検索する人の心の中とキーワードの一致がキモな仕組みだから、タイトルにどんな言葉をつけるのか、とっても重要だ。いや、はりきって専門家みたいなことを言ったけど、重要らしいですよ、というのが正直な表現。

私自身は

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作者の気持ちを作者は答えられるのか?

作者の気持ちを作者は答えられるのか?

「君たちはそれぞれの鼻毛に背負わせすぎなんだ」

武田砂鉄さんのエッセイに出てくる名文。2018年末の『タモリ倶楽部』の企画「作者の気持ちを作者は解けるか?」で、現代文の入試問題を解く中で出題されてバズってました。

この文章がいまだに僕の中ではじわってて。

鼻毛を伸ばしっぱなしの友人と作者(鼻毛を切る側の人)とのやりとりから生まれた「鼻毛に背負わせすぎ発言」について入試問題では、発言の意味とし

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好きです、この街

好きです、この街

日本人は(壮大すぎる主語)羞恥心が強いとか、思っていても口には出さないとか、ステレオタイプな論があるけどそんなことはない。

むしろ「言葉」に関しては割と恥ずかしいことも平気なんじゃないかと思う。愛の告白だってそうだ。

この前も、ある街を歩いていて目の前に《好きです、この街》とだけ描かれた看板が現れた。いきなりの公衆の面前で愛の告白。いくらなんでも大胆すぎる。誰がそんなに想いを募らせたのだろうか

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