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2018年12月の記事一覧
noteを書き続けるために
今年5月から2~3か月くらいほぼ毎日noteを書いていたけど、気持ちがフッと切れちゃって、しばらく更新が止まっていた。
「書くこと」は”使わないと鍛えられないし衰えるし”の筋肉みたいなもので、noteを続けるに越したことはない。と思っていたにも関わらずに更新が止まったのには、やっぱり理由があったみたい。
おそらく、元々たいして上手くもないくせに、「書くこと」に対して自分のハードルを高く設定しち
「書く」を捉え直したことで生まれた3つの問い
代表を務めるinquireという会社で運営している、書くを学び合うコミュニティ「sentence」でアドベントカレンダーを行うことになりました。トップバッターとして、ブログを書きたいと思います。
テーマは、今年1年を振り返りつつ、来年1年を考えるというもの。1年を振り返るには少し早い気もしますが、振り返りをしようと思います。
仕事で文章を書く頻度が減った1年僕は23歳でウェブメディアの編集部に
【左脳めし】何度も読み返すプロットのお手本
橋本忍 著「複眼の映像 私と黒澤明」橋本忍(1918年4月18日 - 2018年7月19日)は、日本を代表する脚本家の一人。黒澤明が監督した映画『羅生門』(1950年)で脚本家デビュー。以後、黒澤組シナリオ集団の一人として、小国英雄とともに『生きる』(1952年)、『七人の侍』(1954年)などの脚本を共同で執筆します。
代表作多数。幾つかあげると『私は貝になりたい』(1958年/2008年)、
ものを書くなら気持ち悪いを恐れるな
書きたいことはある。テーマは自分の心のドアを叩いてる。なのに書けない。
どうしてなんだろうと悩む。ものを書く人なら少なからずあると思うんです。いったいなぜなのか。どうしたら書きたいのに書けない檻から脱出できるのか。
ちょっと考えてみました。
ものを書いて何かを表現する人は、見えない敵と戦ってます。
上手く書けるか、書いたものがいいねとか、好きだとか快い評価をされるか。こんなこと書いて嫌われな
二人のアルファブロガーとの永遠の別れと、最後の記事から受け取ったものへの感謝
この思いをどのように書き始めるか悩み続けて、もう1ヶ月近くが過ぎようとしています。
11月に、私が尊敬する二人のブロガーが、まるでタイミングを合わせるかのように、あいついでお亡くなりになりました。
11月21日に田中善一郎さんが11月14日にお亡くなりになっていたという訃報を聞き、お世話になったブロガーとして何か書かなきゃと悶々としていたところ、今度は11月24日に大西宏さんが11月23日にお
書きたいことを書かずにはいられない
さてnote酒場のことを書こうかなと思っていたのだけれど、吉玉さんのこのエッセイを読んで、いろいろとタイムリーで、ちょっと泣きたい気持ちになるくらい共感してしまったので、それにまつわることを書きたくなった。
書きたくないものを書くのは、苦しい。
そのシンプルなフレーズが、こころにストンと実感をともなって落ちる。
ああ、すでに「自分のことばで書くこと」を仕事にされている吉玉さんにも、こういう葛
書きたくないものを書くのが苦しかったこと
ありがたいことに、毎日何かしらの文章を仕事で書いている。「書けない」ことはあっても「書きたくない」と思うことはない。
それは、書きたいことを書いているからだろう。
私は、気づいたら誰に頼まれたわけでもない文章を勝手に書いちゃってるくらい書くことが好きだけど、それは書きたいこと限定だ。文章ならなんでもいい、というわけではない。
だから、書きたくない文章を書くのは苦痛だし、やっぱり書きたくないの
編集者ほど、「自分のことば」を失いやすい職業はない
編集・ライティングの仕事をしていると、「自分のことば」を失ってしまいそうになる。
2018年7月、学生時代から3年近く働いていたスタートアップを辞め、副業で関わっていた編集・ライティングの仕事にフルベットするようになった。
人生の恩人・長谷川リョーさんの率いる編集ファーム「モメンタム・ホース」にジョインし、半年間、取材・執筆・編集に奔走した。
備忘録がてら実績をまとめていたTumblrから、
雪かき編集者がいっぱい!
最近、あるカメラマンが「編集者がいなくなってしまった!」と嘆いていました。事情を聞くと、編集者としてやるべき仕事をしない人ばかりになってしまったということでした。カメラマンは決して昔を懐かしむベテランではなく、まだ30歳になったくらいの人です。
現場では「お任せします」と言って、一切ディレクションをしないで、写真が上がってから「修正して」と簡単に言ってくる編集者が本当に増えたと言います。
いま