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#エッセイ
子どもに怒るのと叱るのは違うと考えるのは危険
少し前に話題になっていてネットで目にしました。子どもが何か問題行動をした時に
怒るは感情が入っているからダメで叱るはしつけだけだから良い
みたいな話でした。色々な議論がなされていましたが、私はこういう考えはとても危険だと感じています。なぜなら一番大切なことが抜け落ちているからです。それは、
子どもから見たらどっちも一緒
っと言うことです。怒られようが叱られようが子どもからしたら一緒ですよ。
子どもに買い物をさせると勉強がぐーんと伸びる
今まで沢山の小学生と勉強をして来ましたが、小学校の勉強で1番難しい勉強って
わり算(筆算)
だと思っています。断トツで苦戦する子が多いです。小数バージョンもありますがこれまた苦戦する子が多いです。九九もひき算も入って来るのでやる事が盛り沢山なのですが、どこに1番つまずくかと言いますと商を立てる所なんですよね。例を挙げますと、
932÷28という問題があるなら、初めに93に対して28にいくつか
息子が教科書に噛み付いた日
息子が教科書に噛み付いた。
何の比喩でもなく歯を食いしばって教科書の端を噛んだ。
イライラして体をこわばらせて、フーフー言いながら噛み付いた。
そしてこんな風に言った。
「僕は!国語の教科書を開くとイライラする!噛み付きたくなる!この手触りがいやだ!教科書を使いたくない!いつも授業中も噛み付きたくなるからえんぴつとか襟を噛んだりしてなんとか我慢してるけど、いやだ!使いたくない!」
気のせい、で
息子氏、青く光るゲーミングPCを手に入れる。
昨年末に、貯めこんだお年玉や高校入学祝いを元手に息子が手に入れたのは、所謂ゲーミングPCというやつで、サイズ的にはミドルタワーということだけれど、配送されてきたダンボール箱は人が入れそうなサイズ。あまりの大きさにのけぞった。
私にはとても二階の部屋まで持ち運べない重さ大きさ。息子も一人では自信がなかったようで、仕方なく親子二人して、激重精密機械の入った箱の上と下で持ち、狭い階段を「危な落とす
支えるとはどういうことなのか
本日夜から横浜の自宅へ帰省します。約二ヵ月振り、待望の瞬間です。この記事は、我が家へ向けて走る高速バスの車内でスマホから書いています。本日のテーマは、『支えるとはどういうことなのか」という思いつきを掘り下げてみます。
息子が書いた感謝のことば息子は今年の3月に小学校を卒業します。離れて暮らし始めたここ半年ほどは、息子が育つ様子を身近で見守ってやれていませんが、短いような長いような6年間でした。息
なんと❗️この『note』のプラットホームが、来年から全国の小学校で使用されることになりました❗️
昨日、文部科学省から衝撃の発表がありました。今、私たちが使用しているこの『note』が、なんと❗️来年から全国の小学校で使用されることになったんです。
既に全国の小学校では、デジタル教科書が普及しています。生徒ひとりひとりが既にタブレット端末を持つ中で、『note』のプラットホームの導入には何の障害もなかったようです。
平成のような、教師から生徒への情報伝達型の授業方法ではなく、現代では生徒が
子育ての成功とか失敗とかかんたんにいわないでほしいから
「とてもいい学校に受かったと聞きました。
いい子育てをされたからの結果だと思います」
そんなSNSのコメントを見て、強烈な違和感を持った。
違和感は二重にあった。
ひとつは、「いい子育てをされたから」「いい学校に入った」。
それは「いい学校に入ったから、いい子育てをした」ということ?
いい子育てはいい学校に入ったら、できたことになるのか・・・という違和感。
もうひとつは、その書き込みをした