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徳川家康の戦略の凄まじさを感じた、司馬遼太郎 徳川三部作

司馬遼太郎先生の

覇王の家 https://amzn.to/2zah2Xj


関ヶ原 https://amzn.to/35AZ7FG


城塞 https://amzn.to/3b3kDUo

の三部作を読みました。

こいつらは読み始めたら、時間がかかりすぎるので
おいそれとは他人に紹介できる書籍ではありません。笑

僕は、1時間で80ページぐらいの読書スピードなので、
一巻500ページ前後あるこれらの作品は、
最速でも一冊6-7時間かかります。(長い。)

先日紹介した
「坂の上の雲」は300-400ページだったので、少し軽いですが、
それでもかなり時間がかかります。

ここでは、備忘録としての役割も兼ねて、
心に残り、メモをとったところを公開していきます。

覇王の家 https://amzn.to/2zah2Xj

三河者には、名誉を
外様にはお金を与えた。
相手が何を求めているか。で報酬を変える。

 

関ヶ原(上) https://amzn.to/2KX9rhF
前田利家の正室
お松(芳春院)
を「江戸」で人質に取った家康。

芳春院は、前田家にとって非常に重要な存在であるが故に、
これで合戦になったとき、前田家は徳川側につかざるを得なくなった。

関ヶ原(中) https://amzn.to/3aYV1Iw
豊臣家と一番縁が深い
清洲の大名である福島正則が、
徳川方についたら
西軍につこうか、
東軍につこうか、
迷っている他の大名も
徳川方(東軍)につくということがわかっていた家康は、
小山での軍議の前に、
福島正則に「東軍につく」と言ってもらえるように、仕組んでいた。

軍議の前に
結果がわかっているようにする家康。

石田三成について

とにかく観念主義。
太閤の遺訓に固執し、自分が20万石にも満たない大名であるという現実も見ず、250万石の大名である家康に戦いを挑む。
思想や理想だけで生きていけるほど、世の中甘くない。

自分も観念主義になっていやしないか、常に問い続けないといけない。


真田家の話

父昌幸
次男幸村
は西軍に。
長男信幸は、
東軍につくことによって、真田家の滅亡はないようにした。
この時代の価値観は、とにかく血筋を残すことが正義という価値観だったことがよくわかる。


「関ヶ原」の合戦前の、
家康の政略、戦略がすごすぎるだろというエピソードが湯水のように出てきて、めちゃくちゃ面白いです。
まさに
家康は「戦いを略していた」んですね。

城塞(中)https://amzn.to/35vAjio

真田昌幸

「妙案などはいくらでもある。しかし、それを用いる人の信用度が、その案を成功させたり、させなかったりするのだ。」
声の大きさとか影響力の大きさとか、同じことを言っても響き方は違う。
まずは結果を出さないといけないな。

大坂夏の陣、大坂冬の陣において、
家康にとって、相手は世間。
自分のこの行動は他者からどう見えるかを考え尽くしている。
メタ認知能力が、一人だけ群を抜いている。


大坂冬の陣の後、
敵将の大野修理を家康は褒めちぎった。
家康からの錯覚資産。(本当は修理は凡人)
そのことで、淀殿も修理の能力を高く評価するようになった。
家康の魂胆としては、真田幸村とか後藤が指揮すると厄介だから、
大野修理が指揮をとるように仕組んだ。
すごすぎる。家康。


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太閤家代の家来は一人もいない。
本能寺の変によってにわかに勃興した政権だから。

技術の固定による安定(家康)
大坂夏の陣の前のみ、唯一大砲を作らせた。
技術の革新は、反逆のタネになるよな。世の道理が変わるんだもん。

大坂夏の陣
西軍
敗北必至の状況、
真田幸村は後代への名聞を考えて、死所を考えていた。
秀頼に対しても、同じ。

大坂夏の陣において、
家康は外様大名に武功を立ててほしくなかった。
あげる禄がないため。
だから、旗本に先鋒をやらせたかった。
どこまでも考え抜かれている。

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こんな感じです。
なんかお聞きしたいことある方、コメントください。

お話しましょう!

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