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042 電車にゆられて

昨晩のことです。
仕事のあと電車に乗っていたら、私の斜め前に座っている女の子が昔の私に見えました。
ぎょっとして目をそらしました。そして、おそろしくなって女の子の方を見ることができなくなってしまい、誰も座っていない真正面をひたすら見ていました。
そこにはただの車窓と、車窓に映るちっぽけな私が映っていました。

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思えば、私は電車とともに生きてきました。
乗っている路線や電車の種類(?)はその都度変わりますが、通学や通勤でいつも電車にゆられていました。

高校生のころ。
学校に行くために電車を使っていました。
乗っている時間は十五分くらい。窓から見える景色がお気に入りで、本を読むよりも外をながめていました。
大きな川にたっぷりと葉っぱをつけた木。茶色いマンションに黒い瓦屋根の家。

みんなが通っているから通っていた高校。
行きたくないな、という日もありましたが、ずる休みをする方がずっとこわかったので、真面目に通っていました。(卒業時は皆勤賞でした。)

学校の授業はお世辞にもおもしろいとは思えなかったけれど、教科書の中から興味のあることを見つけるのは好きでした。説明があまり上手ではない先生(ごめんなさい)の授業内容を私ならなんて説明するかな、と考えるのも楽しかったです。

雨の日の電車は結構すきでした。
窓に雨の雫がたくさんついて、きれいだったからです。
それぞれ形が違っていて、光り方も違う。
見えないだけで、この雫一つ一つの中に世界があるかもしれない、と想像していました。

まだ何も責任のないころ。
臆病で傷つきやすく、思い込みばかりだったころ。

窓を流れる景色から、学校に行く元気とたくさんの物語を教えてもらいました。

大学生のころ。
こちらも学校に行くために毎日電車に乗っていました。
乗っている時間は二十分くらい。
大学では、毎日読むべき本があり、書くべき文章があり、考えるべき課題がありました。
そのため、電車では、だいたいなにかを読んでいました。
しかし、自分が読みたい本はあまり読んでいなかったと思います。
単位を取得するために読む必要があるものを読んでいました。
つまんないな、と思うこともありましたが、中には知らかった言葉や知らなかった思想と出会うことがありました。
そのたびにわくわくして、本のページをめくるスピードがあがるのです。

読み疲れたら、目を閉じてレポートや課題の構想を練っていました。
「これはどういう意味?くだけた言葉でわかりやすく説明するには?」
「ここは文章での説明だけでは限界があるから、図を入れた方がいいね」
など、会話形式で考えごとをしていたように思います。
もちろん、深刻な疲れがある時はそのまま眠ってしまうことも多かったと思います。

私は大学に通うことがとても楽しかったので、うきうきしながら電車に乗っていました。

自由で宙ぶらりんなあのころ。
ときどき将来に対する漠然とした不安を感じることもありましたが、自分で考えること、友人や教授と意見を交わすことの難しさとおもしろさを感じながら過ごしていました。

電車に乗る時はたいてい一人でしたし、その電車はある駅を過ぎたらとても空くので、なにかを読んだり考えごとをするのには最適でした。
静かな電車内で言葉を知り、思考を構築していました。


社会人になったころ。
勤め先の図書館に行くために電車に乗っていました。
乗っている時間は三十分くらい。
利用していた電車が、地理的にとてもよく止まる電車で、風が吹いても雨が降ってもすぐ止まっていました。
一時間以上乗っていることもざらにあって、私はひたすら図書館で借りた本を読んでいました。

大学生のころも本は読んでいましたが、どうしても専攻の日本文学に偏っていましたので、思う存分海外の文学に触れました。
フィッツジェラルドに感動し、エンデの世界にどっぷりはまり、カフカを読み直して再び感動したり。電車という小さな空間で、世界と時間を旅行しました。

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そして今。
転職して、とある企業に勤めています。
やはり、電車で通っています。二十分くらいの乗車時間です。

最近の電車タイムは、本を読むこともありますが、考えごとをしていることの方が多いようです。同じ車両に乗っている人を見るともなく見たり、ゆれているつり革をながめたり、広告を読んだりしています。

そして、ぼんやりと流れる景色を見ながら、あっという間だったな、と思います。

高校生も、大学生も、図書館員のころも。
それぞれ違う種類の忙しさがあり、当時は一生懸命すぎて、時間の感覚はありませんでした。

でも。
きっとこういう、いくつものあっという間を積み重ねて人生は進んでいきます。
その時その時に物語があっても、必ず過ぎる。
過ぎたら、あっという間と感じる。

でもきっと、その場所を通るとき、その景色に出会うときに印象的な物語は何度でも思い出すでしょう。その度に、当時の自分を見つけるでしょう。

斜め向かいに座っていた女の子は、いつの間にかいなくなっていました。


今回も最後まで読んでくださって、ありがとうございました。


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