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ギャルの余韻


8月3,4日は、年に一度の「気仙沼みなとまつり」。

思い出すのは中学生の頃、まだ震災が起こる前の活気にあふれた港での景色。大人たちがはっちゃけて踊ったり、お酒を飲んでいつもの3倍くらい元気におしゃべりしていたり。とにかくご機嫌で熱い夜の記憶がある。今と比べると子どもも大人ももっとやんちゃだった(治安が悪かったとも言える)。港を沿うように屋台が向き合う形で並んでいて、その間の道をほんのり浮かれモードが滲むたくさんの人が行き交う。ごちゃごちゃしていて、キラキラしていて、蒸し暑かった。当時の私にとっては全部がきれいでわくわくした。他校の、友だちってわけではないけれど友だちの友だちで顔見知りの可愛い子が男の子と歩いているを見つけると、勝手にドキドキした。魚市場の立体駐車場から道路を挟んで向かいにあるボーリング場「さくらボウル」と近くにあるファミレス「ジョイフル」の辺りには、目をギラギラさせた中高生〜20歳前後の若者たちが屯して、爆笑していたり、怒鳴っていたり、もういろいろだった。どこ中のあいつが誰々と歩いてたとか、この後どうやってまつりの後の刺激的な夜を過ごすかアイデア出してたりとか。ものすごいカオスで、もうどうしようもないんだけど、私はその空気がたまらなく好きだった。普段一堂に会することはない、自分の尖った世界を持った人たち同士が、良くも悪くも交わってごちゃごちゃになる。なんかアツい。当時の港の雰囲気と、いわゆる「ヤンキーギャル」と呼ばれる若者が集ったあの祭りの感じは、震災以降のまちでかつ令和の時代には二度と条件が揃わない。だから、大人になってからも当時の空気を何度も反芻していた。

私はその、さくらボウルとジョイフルの間に生まれた世界の空気感をもう一回味わいたかったのかもしれない。

みなとまつりは二日間あり、初日は「はまらいんや」という踊りをみんなで踊るパレードがある。これも、中学校の時に学校のくくりで出たのが最後だった。Uターンして最初の年は参加できなかったが、今年とある先輩に「はまらいんや、やらないの?」と軽〜いノリで言われたことを間に受け、今年は自分で団体を立ち上げることにした。私みたいなUターン者だったり、移住してはまらいんや踊りたいけど出るグループがない、という人だったり、外に住んでいて気仙沼の祭りに参加してみたい人だったり、いろんな人が出られるようにと思って立ち上げに至った。

団体の名は「気仙沼ギャルズ」。深く考えず、頭に浮かんできたのがこれだった。もう一つ候補があって、「みんなともだち」にしようかと思ったが、あまりに平凡なのでやめた。友だちにどっちがいいか相談したら、「どっちもダサい」と言われたが、そのダサさがいいのだと開き直った。

最初はオープンで誰でも気軽に参加できる団体にしようと思ったものの、「ギャルズ」という名前によってかなり参加ハードルが上がってしまったのに気づいたのは、随分後からだった。さらに、烏滸がましいことは承知の上で私が参加申し込みをした後にホヤぼーやと一緒に踊れる「HOYA⭐︎FRIENDS」のメンバー募集が出て、私の参加者ターゲットとほぼ同じ層がはまれる団体だったので「え、こっちでいいやん!」と思った。なんならホヤぼーや好きとして一緒に踊りたい気持ちすらあった。

メンバー募集の時点から、地元の友だちが「いいね!やろうよ!」と何から何まで手伝ってくれて、無事に人が集まってきた。準備段階から当時の空気感を知る同世代のギャルズたちが率先して楽しんでやってくれた。最初に打ち合わせした時に、「ロゴつくるよ」と言ってくれて上がってきたデータを見た時には軽く鳥肌が立った。「ギャルズ」と名付けたからには、もう後戻りはできないと覚悟を決めた瞬間だった。

GILAGILA

郵送で参加者説明会のお知らせが来て、宛名に「気仙沼ギャルズ様」と書いてあったのを見た時には笑った。実家住まいなので、受け取った母はきっと「うちの子またなんか変なことやろうとしてる…」と思っただろう。流石にもう驚くことにも慣れたか。


練習は2回して、来れない人が多いだろうからと一緒に企画した友だちと練習動画を撮影して送った。振り付けには、もとの踊りに少しパラパラとギャルピースの要素を入れた。想像以上にみんなしっかり練習してくれていてありがたかった。最初に団体の名前を相談した友だちは移住者の人たちに声をかけてくれてメンバー募集に勤しんでくれた。定期的に「もうすぐっすね〜!楽しみ〜!」と私のいっぱいいっぱいな心にエールをくれた。最初に私に軽い気持ちで「やらないの?」と声をかけただけのはずだった先輩はしっかりギャルズに巻き込まれることになった。その人は、ギャルの真逆と言っていいくらい見た目がギャルじゃなかったが、私に「いや、先輩は心がギャルですよ」と無茶苦茶なことを言われて、当日ギャルズたちの大事な水分を運ぶ時の代車をデコトラにする任務を担当してくれた。そのほかにも、当日は出られないのに歴史ある看板を快く貸してくれた人、クーラーボックスを二つ返事で貸してくれた人、当日どうしようか悩んでいた飲み物を冷やす氷を手配してくれた人思いのギャルなど、みんなの協力のもと当日までの準備が進んでいった。


デコトラ
看板デコり


届いた時の高揚感

当日は、私のマネージャー!?と思ってしまうくらい綿密にサポートしてくれたギャルの友だち(本人はギャルじゃないよと言う)に、見た目をギャルにしてもらった。

この日のためだけに買った金髪のウィッグ。人生初。その友だちに「耐熱何度?ちょっと巻いてみて」と事前に何度も言われていたにも関わらず、余裕がなくて確認しないまま当日になった。当日やっと確認したら「105℃」。普段のヘアアイロンの温度が140なので、だいぶ低い。友だちが試しにやってくれたら、全然巻けなかった。「どうしよう」と私がつぶやく前に、友だちが「温度上げてピンで固めとくしかないね」とテキパキ巻き始めた。判断も行動も早い!ものすごい頼もしさだった。

そして人生初めてのつけまつげ。こちらもギャルの友だち無しでは無力で、片目を全部やってもらった。つけまつげって、こんなに繊細な作業だったのか。もう片目は自分でやってみる。丁寧に台紙からまつ毛をとり、そこに接着剤を塗る。少し乾かして、まつ毛の生え際のあたりに載せてピンセットで調整する。これがなかなか難しい。しかも左右のバランスが取れていないといけないので、頭がいっぱいいっぱいになっていた。ギャルたちは、全員、こんな大変なことを、日々…?かっこいい。さっきからリスペクトの気持ちが次々と湧いてくる。この子無しでは私は祭りを楽しめなかった。

友だちのおかげでなんとか仕上がって、私は気分が高揚していた。これぞ年に一度の祭りだ!

あとはもう踊るのみ、会場には続々とショッキングピンクのTシャツの人たちが集まってきて、みんなバチバチにギャルに仕上げてきてくれて、感動した。「ギャルは中途半端は嫌いだからね」とギャルの友だちが言っていた。もう、かっこよすぎるって。後から聞いた話だが、みんな「トイレに行く時とか1人になった時に急に不安になる」と言っていた。そうだよね。でもいいんだよ、祭りなんだから。

あとは気づいたら音楽が鳴り始めて、2時間ほど暑い中踊り続けた。やっぱりはまらいんやは踊ってなんぼだ。はまりたい人はどんどんハマってもらった。インドネシアから来ている実習生の女の子たちも混ざって踊った。何人か参加していたちびギャルたちも暑い中頑張った。みるだけの予定だった人も引っ張ってきて踊った。楽しそうで本当によかった。やっぱり祭りはいいな。ごちゃごちゃで、なんだってよくて。生きてるなって感じがした。

はまらいんやの歌詞には「年に一度のお祭りだから 時を忘れて声を枯らそうよ」という一節がある。ここに私の思いが全部つまっている。また来年、年に一度の日に時を忘れて楽しめたらいいな。

別に目指していたわけではないけれど、やっぱりあの頃の祭りの空気とは違った。だけど、そんなことは忘れて楽しかった。

後日、最後に撮った集合写真を見たら、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、中学生の時に見た景色と空気が感じられた。たまには過去にしがみついてみるもんだ。





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