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やってやってるの怖さ

こんばんは。
むすびです。
本題に入る前に本日のご報告。
フィットボクシング2日目、筋肉痛に泣きながらなんとか15分(笑)耐えました。

昨日より少し消費カロリー増えました。
それにしてもフィットボクシングは有酸素運動のはずなのにこんなに筋肉痛ってどんだけ体動かしてないのや…。
でも今日もやりましたよ。の報告でした。

やってやってる

さて、本日のテーマは“やってやってるの怖さ”について。
人間生きていれば、人に何かした時にそう思うことたくさんあるだろうと思います。
私の働いている業界ってそういう面が強い業界だと思っていて、自分にとって息苦しさを感じたりもします。
やってやってるの怖さって、この業界の人ってわかってない気がします。
結局、「やってやってんだぞ!」の裏側には恩着せがましさや傲慢さがうかがえます。
そんなこと言って私もそう思うことあるから傲慢な人間の一種なんだけれど。
だけど、ふと立ち止まって観察した時にいつも「やってやってる」という態度が透けて見える人と、「いつもありがとう」と言ってくれる人と困った時に助けたいのはどちらでしょうか。
私は確実後者です。
そして、自分がなりたい人間像も後者です。

実るほど頭を垂れる稲穂かな

よくある例え話に稲穂が引用されますね。
稲が実ると頭が下がってくる姿に人間の生き方を重ねます。

学問や技能が深まると、他人に対してますます謙虚になることのたとえ。

コトバンクより

20代の時この話を聞く機会があり、なるほどなぁと思いました。
私の理想とする人間像はこんな感じで、常に自分の立ち位置にこだわらない、誰とでも公平であろうとする人の姿です。
やってやってる気持ちがあると、いつまでも本当の意味では満たされないような気がするのです。
今の時代、仕事のやり方や考え方もだいぶ変わってきた気がします。
私のいる業界はザ・昭和な世界観の業界で、でも外から来る人は一緒に良い仕事をしようみたいな気持ちの人が多いです。
私もうちの社長もわりとそういうタイプの考えなので、そう変わっていくといいんだけどなぁとか思ってます。

やってやってるの一歩先へ

やってやってると思ってる人って足をすくわれた時に世間のその人に対する評価が現れる気がします。
だから、私はこういう考えを持ち続けるのは怖いことだな、と。
常にニュートラルを目指したいです。
同じ土俵に立たないように、一歩先へ進んだ考え方を持って生きたいと思いました。

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