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幸せになる為に生まれてきた

スピリチュアルな題名に、
このページをそっと閉じた方も多くいらっしゃるでしょう。

私は霊感みたいなものはゼロなので、
内容は至ってスピではござんせん。

ただ、たまに、
自分のハードモードな人生を振り返ってみて

私、ただ幸せになりたいだけなのにな〜とか
思ったりするのです。

詰まるところ小さな幸せ探しの途中。
それなのにつまずいているばかり。

先程、私の人生をハードモードと表現しましたが、
人によっては私の人生はじゅうぶん幸せなものかもしれません。
でも、幸せというものは自分で定義するもの、のようなので
私が“幸せじゃない”と思ったら幸せな人生は歩めていないのでしょう。

じゃあ、自分の人生を幸せと定義すれば良い、などと簡単に言わないでいただきたい。
それだけ難しいものなんだ、私にとっては。

しかし、最近幸せになれない要素のひとつに気づいてしまいました。
それは…

ヒマ

だと言うこと。
自分の人生のことを考える余裕があるということです。時間があるということです。
毎日ただ忙しく、私の年齢である40代ともなれば育児や親の介護、仕事にと、大変忙しい毎日を過ごされて、自分の人生を考える暇なんかないじゃないかと思います。
ヒマって不幸のエッセンスのひとつな気がします。
私の場合、仕事に適度にヒマな時間があること、独身で自分のことを考える時間がタップリあることがあげられます。

火事場の馬鹿力じゃないけど、何かに夢中になって自分のことなど蚊帳の外であれば自分の人生なんて振り返る余裕もないでしょう。

私みたいにヒマだから、将来が〜地球が〜フリーメイソンが〜とか始まるわけです。

2月に鬱状態になった私の脳内をお恥ずかしながらご紹介いたします。
仕事やだ、行きたくない、やりたくないことが増えてきた
独身で自分の人生を自分だけで最後まで面倒見なければいけない
年金も払えない期間があったから将来いくらももらえない
他の人みたいにちゃんと働けない
お父さんの老いがみるみる加速してきたぞ
ホルモンバランスと治療の副作用で太りすぎた自分を受け入れられない
自分の持病の癌の再発リスクがあって不安
おまけに精神疾患も発症してるみたいだぞ…???

こういうどうしようもないことが頭の中をぐるんぐるんしていました。
これ、考える暇があったからなんですよね。
日々忙しくしてたら、人生に目標みたいなものがあったら、考える暇もないわけです。
我ながら駄々っ子、自立していないのが丸わかりの悩みです。
文字にすると恥ずかしくて仕方ないけど、これが私なんだ。
とりあえず目標である自立するというものが私には必要かもしれませんね。

そんなことを、梅雨の雨音を聴きながら書いてみました。

また次回の投稿お楽しみに。

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