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畑を歩くを文化にする~創業8周年の日に思う~

 2012年3月20日、いただきますカンパニーが誕生した。”いただきますの心を育む仲間たち”というのが、社名の由来だ。情報が溢れる時代だからこそ、生産現場を自分の目で見て触れる機会を作りたいと考えた。

 でも私が”畑を商品にしよう”と思ったのは、単純にその絶景に魅了されたからでもある。農業には、知床や大雪、釧路湿原といった大自然とはまた違い、人が作り出した美しさがある。車窓や展望台から眺めるパッチワークのような畑の風景は人々の心をつかんできた。その広大な畑の中に人が歩く道があると見つけた時、私は憧れの風景の中に入ることができるのだという高揚感に包まれたのだ。

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私が見つけた畑の中の道は”防除畝”と呼ばれるトラクターの踏み跡 


 病気や虫を持ち込まないという防疫の観点、何より畑は私有地であるという点から、その風景の中に観光客が入ることなど誰も想像していなかった。それ以前に、地域の人たちはいつもそこにある風景にそんなに大きな価値があるなど思ってもいなかった。

 自然ガイドの仕事をしていた私は、ガイドの存在によって特別な場所に入ることができる価値を知っていた。防疫が問題であれば、訪れる人全てに専用の靴に履き替えてもらえば良いと思った。できない理由は、ひとつづつ潰していけばよいのだ。

 そうして出来上がったツアーが、”畑ガイドと行く農場ピクニック”だ。

A4巻三つ折ヨコ右表紙-裏_OL-1

 収穫体験とうたわずに、どうこのツアーを伝えるのか。考え続けて、創業3年目にようやくたどり着いた名前だ。十勝の農業は、年に一度しかない収穫に向けて日々作物を見守り成長を助ける仕事である。その過程を無視して収穫だけに注目することに違和感を持っていた。何より、私が美しいと感じる畑の風景は、小麦や豆、ビート等、収穫体験に適した作物ではなかった。そしてそれらの畑が美しいのは、収穫期ではなく成長過程だった。収穫体験にこだわらないことにより、観光のために作られた畑ではなく、ありのままの生産現場に行くことができるようになり、生産者が働くダイナミックな姿を身近感じられるようになった。

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 この仕組みは他の地域からも注目されるようになった。今まで、熊本県南阿蘇村(米)、北見市温根湯地区(白花豆)、余市町(ワイン用ブドウ)など、地域の方々と一緒にガイドを養成し、ツアー作りをしてきた。津別町、美瑛町等では既に畑を巡るツアーが販売されている。

 ナイタイ高原牧場や多和平など公共牧場は定番観光スポットになっているし、農村カフェやファームレストランも人気だ。根室には酪農家によるフットパスの取り組みもある。富良野や美瑛は農村風景そのものが観光資源だ。

 多くの人に愛されてきた北海道の農村風景。それを伝える存在としての畑ガイドの役割を、多くの農村の人たちが理解してくれるようになった。年間約2000人、それが私たちの限界のような気がしてしまっていた。でも私たちが目指す次のステージは、北海道に行くならガイドと一緒に畑を歩かないとね!と言われるまでにすることだと感じている。なぜなら、畑ガイドの存在によって、離れてしまった生産と消費が繋がり、農業が理解され、それが北海道を守り元気にすることにつながるからだ。

 畑を歩くが文化になるその日まで、私はもう少し頑張ってみようと思う。

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