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謎のチョコレート菓子、その思い出。

ハワイがいまよりもずっとずっと遠い外国だったころの話である。

ぼくは小学生だった。学校から帰ると、ダイニングテーブルの中央に見慣れぬ菓子箱が置かれていた。聞けば、母親が買いものから帰宅したところ、車庫に停めていた車のボンネットの上に、この菓子箱が置かれていたのだという。パッケージの様子からすると、どうやら外国製の菓子らしい。日本語は一文字も記載されておらず、商品名も成分表示もすべてが英語だった。いったい誰が、こんなものを置いていったのだろうか。母親によると、手紙的なものはなにも添えられないまま、ただこの菓子だけがボンネットに置かれていたそうだ。兄が帰宅し、父親が帰宅してもなお、その正体はわからなかった。

小学生の自分からしても、それがチョコレート菓子であろうことは理解できた。箱を手に取り、鼻を近づけてみると、なんとなくチョコレートっぽい匂いがする。しかし開封することも捨てることもできない。やにわに置き主が現れ、「ここに置いていたチョコレートを返してくれ」と言い出すかもしれないし、そもそもその前年には「かい人21面相」を名乗る凶悪犯によるグリコ・森永事件が起きていた。青酸ソーダ入りの菓子をばらまいたとして日本中を震え上がらせた脅迫事件だ。「どくいり きけん たべたら しぬで」である。

触れることさえ危険なものとして、ダイニングテーブルに置かれたままのチョコレート菓子。ぼくは本気で怖かった。グリコ・森永事件の記憶はもちろんのこと、その謎めいたパッケージから、いかにも毒々しい妖気が漂っていたからである。


(なにも知らない、英語の読めない小学生の目で見てほしい)



怖い。怖い。怖い。レヴィ=ストロースあたりに怒られてしまいそうだが、当時のぼくにはこのトーテムが、ただただ奇怪で、邪悪で、呪いに満ちたものとしか映らなかった。しかもパッケージ右端にプリントされたチョコレートは、いかにも不格好で禍々しいルックスをしている。怖い。怖い。怖い。夢に出てきそうなほど、怖い。


そうして置き主(もしくは落とし主)が現れないまま数週間が過ぎたころ、業を煮やした母親がこのチョコレート菓子を開封した。しかも、お茶請けとして来客にそれをふるまった。なにも知らない客人が、かっぱえびせんでも食べるがごとき気軽さで口に運ぶ。客人の無事を確認したのち、ぼくも食べてみる。


なんておいしい食べものなんだ!

ピーナッツでも、アーモンドでもない、なんだかよくわからないナッツ的なものの、羽根のような軽さ。抜群すぎるチョコレートとの相性。恐怖と我慢から解き放たれたぼくは、堰を切ったようにバクバク食べていった。

どこの国の食べものだか知らない。でも、いつの日か異国でこれを見つけ、日本に持ち帰ろう。このおいしさを、もっと多くの人に知らせよう。ぼくは心に誓ったのだった。


ハワイがいまよりもずっとずっと遠い外国だったころの話である。